動機善なりや、私心なかりしか
役職についたら、私心なく働くこと。
課長とか部長とかではなく、
取締役とか、経営に直接タッチできるポジション。
そうすれば、
下からはあこがれの存在になり、
上からは信頼を得られることになる。
私心をなくせば、損得なく、あるいは忖度なく、正論で仕事ができる。
組織の中で高めのポジションを持てば、
それなりの約得があるようになる。
見えないものが見えてきたり、
聞こえない声が聞こえる。
ついつい良からぬことにも手が出てしまう……
というのが世の常ではないだろうか。
昨日、大隈塾の今年度最終講義。
塾頭で、「三井物産史上最速で副社長に上り詰めた」駒井正義さんが、そういっていた。
稲盛和夫さんが、第二電電(いまのKDDI)を立ち上げるとき、
「動機善なりや、私心なかりしか」
と幾晩も自身に問い続けたという。
私心なく組織のために働くこと。
あるいはそれは、リーダーシップの上級種である「エルダーシップ」ではないだろうか。
またはそれは、持てるものの義務「ノブレス・オブリージュ」ではないだろうか。
わたしは正直にいうと、
私心ばりばりである。
私欲にまみれている。
まだまだだなあ。