推し活っぽくもある「エゴン・シーレ展」
ポカポカとあったかい日曜日の上野公園には人がわんさかいて、
にぎにぎしい感じが心地よかった。
パンダのシャンシャンが今月の21日に中国に帰国する(パンダはレンタル制度)からというので、
動物園の中では210分待ちの長蛇の列。
上野公園らしい一面。
噴水のところの広場では「酒屋角打ちフェス」。
「角打ち」ってようするに酒屋で立ち呑みとか缶詰サカナにお酒を飲む行為で、
昭和感漂わせながら昼間っから酔っぱらいというのは、上野公園らしい二面。
そしてわたしはそうしたパンダと酔っぱらいの横をすり抜けて、
美術館へいくという、上野公園らしい三面目を楽しむことにした。
東京都美術館での「エゴン・シーレ展」。
エゴン・シーレは28歳で夭折したウィーンの天才アーティスト。
16歳のときに最年少でウィーン美術アカデミーに入学、
17歳のときにクリムトに見出される。
シーレ「ぼくには才能がありますか?」
クリムト「才能がある?それどころか、ありすぎる」
という会話があったそうで、
シーレはクリムトのグループ(ウィーン分離派)に属するようになる。
天才なんだけど、シーレはあまり世間受けはしなかった、そうだ。
たしかに展示されている絵を観ても、
なんか完成度の高さに驚くとか、
キレイだなあと見惚れるとか、
そんなモチベーションが上がるような絵ではなく、
どこかおどろおどろしい、
ちょっと人を寄せ付けないような雰囲気がある。
おまけに裸の女性の絵ばっかり描くので、
(しかもほんのりと性器まで)
ひんしゅくを買ったり、逮捕されたりもした。
でもやっぱり、見ている人は見ているもので、
ようやくウィーンで売れっ子になりだした、
クリムトグループのメインの画家になった、
というときに、
1918年、スペイン風邪にかかって亡くなってしまう。
いまスペイン風邪以来のパンデミックというシンクロ感と、
早逝の天才の孤高感で「推し」っぽさがでていて、
それが本来の審美眼に下駄を履かせてくれているのか、
わたしのような美術シロウトでも満足度の高い美術展だった。