自分の中の多様性を認めないと、他人の中の多様性は認められない
自分の中の多様性を認めないと、
他人の中の多様性は認められない。
と、なっちゃんはいう。
(山田夏子さん:クリエイティブファシリテーター)
自分の中の多様性、って?
自分が持っている役割かもしれない。
父親、教員、代表理事、ディレクター、プロデューサー、釜石市民、
釜石ラグビー応援団……
自分の性格とかジェンダーかもしれない。
生物的には男性、恋愛対象も女性、
だけどどっか、おばさん的なところもある。
カラッとしているときもあれば、ジメジメしているときもある。
真っ直ぐなようでいて、ねじ曲がっている。
寛容であろうとして、不寛容である。
主義主張もある。
保守でもありリベラルでもある。
けっきょく、どっちつかずのノンポリシーかもしれない。
新しもの好きなのに、新しい店を開拓しようとしない。
食べる店、買う店はいつも同じ。
調べない。感じたまま。
でも、あんまりそれもよくないなあ、とも思っている。
これって、「自分の中の多様性」なのかな、
多様性ってもっとちゃんとしたものなんじゃないかと不安になる。
『他者の靴を履く』に、エモーショナルリテラシーについて書いてあった。
(『他者の靴を履く』 ブレイディみかこ 文藝春秋 2021)
さまざまな感情を感じ、理解し、表現する能力のことを指す。同時に、その能力を高めることも含まれる。感情に振り回されるのではなく、感情を使いこなせるようになるための方法である。
自分の心の動きや感情を感じ取り、それを認識し、表現する力。感情の読み書き能力。「感情の筋肉」の強さ。
感情の読み書き能力とは、感情を他者に正しくコミュニケートする能力。
自分の内にある感情、心の動き、その背景にあるものを認識し、
それを他者に伝える言語化能力がないと、
他人の中にある多様性、というか、
世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方があって、
世の中にあるそうした多様性を認めることはできない。
多様性を認められない人は、
ダメなんじゃなくて、
まだ能力が未発達、未熟なだけなのかもしれない。