鵜住居スタジアム
鵜住居スタジアムはほぼ満員だった。
1万3000人。
9:00の新花巻駅では、
駅の出入り口からローカル線のホームまで100m、
人が4列になって並んだ。
その乗客は、釜石線に乗って釜石駅まで行ったが、
接続する三陸鉄道には、誰一人乗れなかった。
すでに、乗車率200%だったから。
街なかでパブリックビューイングもするからか、
釜石はラグビーを楽しむ格好をした人たちで溢れていた。
「溢れていた」はオーバーで、
そこそこの、ほどほどの人出だった。
でも普段はあまち人が歩いていない釜石の土曜日の午前中、
道路にもコンビニの外の喫煙所にも、
十分すぎるぐらいの人たちが歩いていたり、滞っていたりした。
新花巻からの釜石線は、
特別に4両編成になっていた。
新花巻駅では、
花巻駅や盛岡駅から派遣されてきたのか、
仙台あたりからも応援に来たのか、
白シャツ組も制服組も、
たくさんたくさん、iPadで情報を共有しながら、
乗客の対応にあたっていた。
釜石線の列車は、ワクワクがとまらないラグビーファンを乗せて、
遠野を過ぎ、陸中大橋を過ぎ、釜石駅へと走っていった。
鵜住居スタジアムでは、
日本代表のレプリカジャージを着た人、
去年8月のこけら落としの記念Tシャツを着た人、
思い思いの出で立ちで、
日本代表とフィジー代表のゲームを楽しんでいた。
思えば、よくぞここまで来たもんだ。
震災のあと、
釜石でワールドカップの試合ができないか、
それこそラグビーの街だから、
そう思った人は多かった。
無理だと思っていても、
ダメもとででもそう思っていたにしろ、
あの鵜住居にスタジアムを作ろうと、
そう思った人はほぼいなかっただろうし、
ほんとにスタジアムができると信じた人は、
皆無だっただろう。
ある数人以外は。
スタジアムは、
鵜住居小学校と釜石東中学校があった場所に建つ。
手に手を取り合って、
上級生が下級生を助けて、
安心しきって、油断している大人たちを叱咤して、
上へ上へ、さらにさらに上へと逃げていった、
「釜石の奇跡」といわれた子どもたちが学んでいた、
鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地に、
復興の願いを懇親に込められて、
その地に建っている。
夢を見ているようだった。
スタジアムがあり、
満員のお客さんがいる。
夢を見ているようだった。