いま、満たされてますか?
人生の価値とは?
釜石のとなり、大槌町の吉里吉里の吉祥寺の和尚さん。
講話でわたしたちに、
「いま、満たされてますか?」
と尋ねた。
リーダーシップ・チャレンジ(社会人の大隈塾)の越境学習&ワーケーションプログラムの最終日。
いま、満たされているだろうか?
吉祥寺は2011年、被災直後から私設の避難所になった。
避難所運営の体験から、
「人生の目的とはなにか。
人生の価値とはなにか。
について、改めて考えることになった」
と。
あれが欲しい、これも欲しい
当時の話。
避難所生活が続く。
プライベートな場所が欲しい、と人は求める。
仮設住宅が早く欲しい、と。
しばらくして、仮設住宅ができ、めでたく入居した。
しばらくして、その人たちは体調を崩すようになった。
仮設住宅によって、避難所でようよう保っていたコミュニティが壊れたから。
誰もが誰かを知っているコミュニティから、
誰だか誰もが知らないコミュニティへ。
だったら、もとのところに家を建てたい、
クルマだって欲しい、と人は求める。
しばらくして、新築の自宅が建ち、めでたく入居した。
しばらくして、その人たちは体調を崩すようになった。
今度はなぜだろうか。
「人が求めるものは、モノではなかった。
欲しい、満たす、欲しい、満たす、のサイクルが、
心のバランスを崩してしまった。
モノは持てば持つほど、欲しくなる」
と、和尚さんはいう。
足りない時代、足りてる時代
昭和の「足りない時代」は、それでよかったのだろう。
モノがなかった。だからつくった。つくればつくるだけ売れた。
経済も人口も、ずっと成長していた。
平成令和の「足りてる時代」は、
欲しい、満たす、欲しい、満たす、のサイクルが
うまくいかない。
津波はすべてを奪った。
大槌町では、火災が発生。3日3晩燃え盛り、
燃えるものが尽きたときに火は消えた。
「ぜったいに奪われないものはなんだろう。
ぜったいに奪われないタカラモノはなんだろう」
和尚さんは考えた。
「人を大切に思う心ではないか。
人から大切に思われることではないか」
「そしてそれは、利他の心。
人を幸せにしたい、人の幸せを願う心じゃないか、と」
満たすのは自分ではなく、
満たすのは他人であった。
いま、わたしは満たされているだろうかと考えた。