
宝来館のおかみさんから聞いたこと
いわれているほど必死じゃなかった。
3月3日、避難訓練で走ったばかりだったし、
6日前の3月5日にも、小さいけど地震があった。
なので、和気あいあい、決められた場所へ、友だちと走っていた。
小学生も走り始めた。
釜石東中学校と鵜住居小学校は、同じ敷地にあった。
まだ友だちとおしゃべりしながらだったが、
何度も何度も訓練してきて習い性となっていた、
小さい子がいたら手をつなげ
小さい子がそばにいたから手をつないだ。
この子から、この子の手から伝わった。
死にたくない
この子を生かさないといけないという思いにうたれた。
そこから、必死になった。
グループホームの所長がいった。
決められた場所だったから、小学生や中学生が逃げ込んできた。
やがて、その小学生や中学生がいなくなった。
もっと上へ逃げていったから。
でも、うちらは逃げなれない。
動けない年寄りばかり、どうやって逃げる?
手伝ってくれる介護師も足りない。
しょうがない、祈るしかない。
せめて2階まで、集まってくれ。
逃げないと決めたけど、せめて2階まで来て。
小さい子は、高校生になった。
厚真町にいきたい
といった。2018年9月。
2011年3月にボランティアに来てくれた北海道の人を頼って、
あのとき遊んでくれたお姉ちゃんのことを思い出して、
自分でもできることがきっとあると信じて、
山の表面が崩れ落ち、土砂に埋もれた厚真町に向かった。