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復興に彩りを与えたやさしい公園

昨日はこすもす公園のオーナー藤井了(さとる)さんとサエコさんに感謝と慰労する会、
「ありがとうこすもす公園」
の日だった。

こすもす公園は、釜石市の西の山側にあって、
東の海側のように津波の被害は受けてない地域にある。

もともとはコスモス畑だった。
背の高いコスモスがきれいに咲く癒やしの場だった。

藤井さんご夫婦はコスモス畑を手づくりの公園に変えた。
釜石にあった公園や広場はすべて、
被災者のための仮設住宅が建てられたからだ。
それで、子どもたちが遊ぶ場所がなくなった。
保育園、幼稚園、小学校の子どもたち、
釜石市内だけではなく、クルマで1時間も2時間もかかるところからも遠足としてやってきた。

やさしい公園だった。
公園内のものはすべて、食べられるか、土に還るものだった。
流木を利用した背の大きな滑り台、
公園の中心部には広く深く穴が掘られ、
立体的に遊べるところだった。
全体的に地面にはチップが敷かれ、
転んでも平気な安全に遊べるところだった。

コスモスがきれいなこすもす公園

大豆やじゃがいもを育てる畑もあった。
野草もいっぱい茂っていた。

イベントもたくさんやった。
地元のミュージシャンのライブや、
数百個のろうそくを灯したキャンドルナイト。
100人のサンタクロースによるクリスマスパーティも。

ちいさなマルシェも何回も行われた

ここで出会って、結婚式をした家族もあった。

オトナたちが復旧・復興をしているときに、
まなざしを向けてもらえなかった、
子どもたちのための遊び場、
子どもたちの笑顔をつくり続けた。

宿泊施設が不足していたので、
頼まれれば自宅を民泊として提供した。
有名な建築家やアーティストやジャーナリストが、
藤井さん家で布団を敷いて寝て、
朝ごはんを食べて、市内に向かっていった。

まさに、釜石の復興の後方支援を担ってきた。
藤井さんご夫婦はそんなことをしている意識はなく、
釜石市民もそんな恩恵を受けている意識もない。
しかし確実に、釜石の復興に和みと癒やしと彩りを与えたのは、
こすもす公園だった。

オーストラリアから来た家族

震災から10年が経ち、
釜石のいろんなところに公園や広場がつくられ、
こすもす公園には子どもたちの姿が見られないようになり、
「役割は終わった」と去年、閉園とした。

さとるさんは、会のあいさつで、
「ここでたくさんの人たちと出会いました。
その人たちとの出会いが、わたしの財産です」
と。

サエコさんは、
「こころからいっぱい、いっぱい感謝してます。
みなさんとずっとつながっていきたい。
その思いを込めて」

かんぱーい! 

公園づくりを手伝って、最後までメンテナンスに携わってくれた、
10人ぐらいの小さな小さな、感謝のパーティだった。

ピザ窯もあって、子どもたちとのピザ教室も
レストランこすもすはまだまだ営業中