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2011年4月に初めて釜石に来た。
街なかを通って、鵜住居に行き、大槌町、吉里吉里を見て回った。
「どんな支援が可能か」
探し出すのがある会社から与えられたミッションだった。

わたしは支援可能なもののの中に、
「ラグビー」
を入れた。
息子がいる中学校のラグビー部の合宿を釜石でやる。
中学生が釜石にやってきて、
ラグビーとボランティアをし、教会で祈る。

そのミッションを釜石で支えてくれたのが、
宝来館のおかみさんであり、ラグビー仲間だった。

ラグビー仲間はその後ほどなく、
ラグビーワールドカップの釜石開催に走り出した。
わたしはなんの手伝いもできないけど、
記事を書くことや、釜石に通い続けることで、
彼らに伴走をしてきた。

いろんな苦労を乗り越えて、ワールドカップを釜石でやれた。
うのスタに来ると、そのことを思い出して今でも涙が出てくる。

一方、2012年からずっと、
3月11日は鵜住居、根浜に通った。
毎年毎年、鵜住居小学校と釜石東中学校跡を通って、
宝来館での祈りの行事に参加してきた。

2020年に釜石に移住して、
2021年の3月11日から、釜石市民としてその行事を手伝ってきた。
鎮魂の花火「白菊」も、そのころから根浜の夜空に咲いた。

ずっとずっと。

2024年、ちょっとつまづいたけど、
気持ちはブレていない。
3月11日の祈りとは
「寄り添うこと」
だとする宝来館のおかみさんに倣って、
わたしも亡くなった方、まだ不明の方たちに寄り添ってきた。

これからも、市民として、議員として、
祈り続け、寄り添い続けていく。