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生まれたときから「全身全霊」

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んでいて、
昨日の「ノイズ」の続き。

SNSと本の違いは、「ノイズ」が含まれているかどうかにある。

SNSは、知りたい情報にすぐアクセスできるツールで、
知りたい目的に直結しやすい。
キーワード検索で答えにすぐにアクセスできる。

一方で読書は、
知りたい情報に直接たどり着くには時間がかかる。
余計な部分(ノイズ)が混じっている。
だから、「知る」ということに関しては効率が悪い。

つまり、読書はタイムパフォーマンスが悪い。
ちなみに『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』も、
なぜ読めなくなるのかの答えはなかなかでてこない。

読み終わっても、あれ?? なんだっけ? 
あれだったっけこれだったっけ?
忘れちゃった、ということになる(個人差があります)。

ただし読書は、タイパは悪いけれども、
思わぬ発見や偶然の学びが生まれる。
「ノイズを含む体験」が、知識を深め、ものごとを多面的に理解する力を育む。

問題は、ノイズがあるからこそ得られる意外性や深さ、に価値をおけるかどうか。

いま働いている人は、仕事に直接関係のない「学び」をするだろうか?
そもそもいま働いている人は、「学び」をすることがあるだろうか?

そこで著者の三宅香帆さんは、
働くことの「全身全霊」性に注目する。
なんだかんだいって、みんな「全身全霊」で仕事してませんか?
できれば残業してまで仕事したい、と思ってませんか?
本音では誰かが100%育児や家事をしてくれて、
自分は100%、全身全霊で仕事したいと思ってませんか?
逆に、100%育児と子育てに集中したいと思ってませんか?

物心がつくころには、全身全霊を求められる。
学校の勉強、部活、習い事。
塾、受験勉強。
ここのところは大学生活もインターンだ就活だと全身全霊。
めでたく就職したらさらにガチガチにしばられる。

周りから全身全霊を求められるし、
自分自身でも実は、全身全霊が正しい、と思っている。

全身全霊で仕事や生活に臨んだ挙げ句、
全身全霊を目指してコトに向かった結果、
その先にあるのは「バーンアウト」、燃え尽き症候群だ。
こころを病んでしまうことにもなる。

なので、「全身」ではなく「半身」で働く、「半身」で生きていく社会にしたい。
半身でならば、ノイズたっぷりの読書を楽しむこともできるようになるだろう。

ということを、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で語られている。
最後はホントに「半身でいこうよ!}と著者が語りかけてくるのが、
文体、文脈的にとってもいまっぽい。


『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 三宅香帆 集英社新書 2024年