コミュニティと個人との関係には
フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが、
「自立とは、依存できる人がどれだけいるかということ」
というようなことをラジオでいっていた。
コミュニティについて少し考えた。
わたしはいくつかのコミュニティに属しているけど、
最大は大隈塾の卒業生コミュニティ、
最小のコミュニティは2人、わたし含めて。
それは、clubhouseのコミュニティで、
「たまっている本や論文を読んですっきりする黙読会」
というのをやっている。
メンバーはデジタルウェルネスを研究しているデミさん。
そもそも、デミさん主催のデジタルウェルネス講座を受講したものの、
最初のイントロダクションの回だけでて、あとはぜんぶ欠席。
ちょうど別のコミュニティのミーティングとバッティングしたためで、
デジタルウェルネスってなんか面白そうと申し込んだけど、
申し込んだときはそのミーティングを忘れていて、
そのコミュニティはわたしが主催して……
そんないいわけはどうでもよく、
やる気があればアーカイブで学んで、
デジタルウェルネスのSNSコミュニティでコミュニケーションすればことたりたこと。
要するに、いつものように「先送り」して「たまってい」ってた状態を、
デミさんが「どうしますか?」とone on one してくれて、
そのときに思いつきで「たまったものを消化するclubhouseを」
と提案して、実現した。
やってみるとこれが快適で、
6:30になるとclubhouseを起動して、
本を読まなければならない。
あれもやんなきゃいけない、これもやんなきゃいけない、
たとえば授業の準備をしないといけない、
noteを早めに書いたほうが気がラクになるからnote書きたい、
っという欲求とか必要とかが湧き上がるけど、
そもそもそんなこんなで「読書」なり「読論文」が先送りされてきたわけで、
この6:30〜7:30のコミュニティをすっ飛ばすこと自体がオウンゴールなのである。
なので、たとえ何があってもそこは死守する、
ホントに仕事でやばかったら、もっと早起きしてその仕事をやっつけておく。
黙読コミュニティでは論文やアカデミック寄りの本に限定しておいてるから、
最近なんか理屈に明るくなってきた(気がする……)。
いい効果がある。
こんなの一人でやればいいじゃないか、というコメントもあるだろうけど、
そこが「自立とは、依存できる人がどれだけいいるかということ」で、
誰か伴奏してくれる人がいるから、できること、やりやすいことでもある。
だから、2人のコミュニティもとっても大事。
コミュニティを考えるきっかけになったのは、
朝渋の「『コミュニティ』づくりの教科書」の再放送回に参加したことで、
同名のタイトル本を書いたPeadixの藤田祐司さんと、
コミュニティ・アクセラレーターの河原あずさんがスピーカー。
この回オリジナルは去年2020年7月で、
およそ1年前のトークイベントなんだけど、
イベントコミュニティのプラットフォームであるPeatixが新コロナでイベントの扉がばたばた閉じていくなかで、生き延びるためにどんなことを考えたのか。
結果として(7月の段階で)なにが成功要因だったのか。
それをコミュニティ運営のノウハウを伝授するような内容でトークが進む。
このおよそ1年前のコンテンツの再放送は、
主催者の朝渋が運営したわけではなく、
朝渋に参加している人たちのコミュニティが企画して運営した。
朝渋のコミュニティは「部活」が活発で、
参加者がさまざまな(100ぐらい?)の「部活」をやってて、
コミュニティが動いてる感がものすごい。
お互いに仕事があるなかでの部活動。
その部活動を自主的にやるコミュニティになっている。
<関係の質>が上がれば、<思考の質>が上がり、
そうすれば<行動の質>が上がって、<結果の質>の向上につながる。
さらに<関係の質>がよくなっていく、
というダニエル・キムの「成功循環モデル」だなあ。
そしてその循環にそって、個人の自立があるわけだ。