知って、想像して、やさしくなりたい。

心身をすり減らした日々だった。

医療機関や保健所が大変なことは理解していた。
それと同じように、検査機関も、宿泊療養施設も、コールセンターも、患者搬送を務める交通会社も、物資を運ぶ配送会社も、それを司る行政も、もっとたくさん私の想像の及ばないところでいろんな人が命を削ってこの社会を守っていた。

少しの期間、仕事で携わっただけだが、知らないものを侮り恐れるばかりの私にはいい経験だった。

正直、自分一人だけならどうなってもいいし、我慢するより楽しい方がいいと思ってしまう。

だけど、家族のことを想い、友達のことを想い、同僚や知人のことを想い、たとえ知り合いじゃなくてもそこで働く人のことや患う人のことを想う。
そうしたら、自分だけの快楽がそれほど大切にしたいものではないことに気づく。

想像力があれば、人に優しい選択ができる。
わたしはそういう人間でありたい。

それと同時に、この社会や置かれた環境を憂うのは簡単だけど、そこに属する一人としてできることはもっとあるんじゃないかと感じた。

自分以外のもののせいにして諦めるんじゃなくて、自分の力でも変えられることはある。

自分のためにも他人のためにも、少しでも生きやすい社会になるよう私にできることをしていく。

たとえ途方もなく遠いゴールだとしても、一歩ずつ前へ進んでいくことでしか近づく方法はない。
一足飛びではゴールに届かない。飛ばした足場はいずれ、積み上げたものが崩れるきっかけになる。

叶えたいことがあるのなら、諦めずに、ひとつずつ歩んでいく。ただそれだけなのだ。

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