
息子から教わった"世界観を大切にすること"
自分の世界観を大切にする。
息子を見ていると、彼の中に世界観があって
それをとてつもなく大切にしているなーと思うことが
多々ある。
例えばプラレールやトミカにハマっていた時は、
線路や駅や情景パーツなどいろいろなアイテムを
使って、リビングを半分程占領するほどの
壮大な街を作り、それを片付けようものなら
この世の終わりかと思う程泣き喚いていた。
母からすると、電車を走らせて遊んでいるならまだ
しも、殆ど展示物としてリビングの半分を占領して
鎮座する息子プロデュースタウンが、ストレス以外の何物でもなかった。
少しでも崩れよう物なら、癇癪を起こしたように
パニックになったり、置いてある物の位置が少し
でも違えばすぐ様なおしたり、信頼している家族
以外には指1本触れさせない。と言う徹底ぶりに
この子はこだわりが強すぎて大丈夫かな。と心配に
なったこともある。
どうにか片付けて欲しくて、あの手この手を使って
交渉するのだけど、彼のあまりにも悲しそうな表情を
見ると、そこまでの想いがあるなら。と、若干のストレスを抱えながらも彼の想いに根負けしていた。
その後も、レゴタウン→オリジナルシーワールド→オリジナルジュラシックワールドといった感じで、
息子が作る世界は物が変わるだけで、相変わらずこだわりが詰まっている。
そこでふと私も自分のことを振り返った。
私自身、自分の中に大切にしたい世界観が
あって、その世界観からズレることや自分が良いと
感じてる世界観を否定されるような事に違和感が
ずっとあった。
例えば自分が撮る写真。
私は、自分がいいな♪この感じ好きだな♪って思う
場所や雰囲気を感じたままに写真におさめる事が
好きなのだけど、他の人に自分が撮った写真を
「よく分からない写真撮るね」とか、
「コレ何の写真⁇」と言われることがある。
その何気ない言葉にいちいち傷ついて、
"え、私の写真って変かな?"
"被写体がハッキリある写真じゃなきゃダメ?"
"意味のある写真を撮らないとダメかな?"
"私の感覚って理解してもらえないんだ"
って勝手に落ち込んで、"私って変なんだ"
って思っていました。
それって凄く他人の考え方を自分に取り込んでる状態
つまり他人軸な考え方だし、
自分が良いと思えば良いはずなのに、どこかで
評価してもらいたい、共感してもらいたい 自分が
いたんですよね。
評価や共感を求めるから、自分らしい写真じゃなくて
"周りに理解されやすい写真"
"周りにいいねって言って貰える写真"
を撮って、「いいね!」って言っては貰えるけど
どこかモヤモヤする。
でも息子を見ていると、他人の評価や共感なんて必要
ないんだなと思い知らされる。
自分の良い!と思うものを好きな様に表現する。
"世界観を大切にする"って、
人生において最重要事項ではないかもしれない。
でもそこをないがしろにして、自分らしく生きることは
できない。
私の息子もまた、とても素晴らしい
世界観を持っていて、彼はそれを
とてもとても大切にしている。
これからも彼の持つ世界観を大切にして
生きて欲しいし、私もまた尊重したいなと
思うのです。