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学校での合同研修には主体的に参加している


町の研修に参加した。

ストレスとの向き合い方と、町の取組報告であった。思うことがあったので、感想をしっかりと書いて提出した。いかに記しておく。


研修での感想

この研修を通じて、考えるべきことが多くありました。

まず、ストレスについて考えました。ストレスとは、外部からの刺激に対する心身の反応を指します。この外的刺激(ストレッサー)と、心身がそれに応じて示す反応を合わせて「ストレス」と呼ぶこともあります。つまり、ストレスとは外部からの影響によって心や体に生じる反応だと言えます。

しかし一方で、ストレスは必ずしも外的要因からのみ生じるものではありません。内的な解釈や心理的な反応が、ストレスの発端となることもあります。外的要因と内的要因、どちらがストレスの本質なのかを考えると、単純には答えが出ないことがわかります。

意味づけという概念についても考えてみました。私たちの思考における「意味づけ」は、言葉があって初めて成り立つのでしょうか?それとも、言葉は外部から与えられるものでしょうか?ここでチョムスキーの生成文法理論を参考にすると、言語は人間の内側に元々存在する仕組みによって獲得されると考えられます。もしそうであれば、教育の必要性はどこにあるのでしょうか?このように、理論を深めていく中で、外国語活動のアプローチについても新たな視点が見えてくるかもしれません。

意味論、語用論を調べていく中で、思うことがあったので、講義の最後に質問させていただいたのです。


我が町の取組への提言でも考え深いことが多かったです。

気になったのが、前回の会議でも同じような課題がだされたということです。

つまり、研修の中で考えさせられたもう一つのテーマが、主体的な活動についてです。保育所では子どもたちが自主的に活動しているにもかかわらず、学年が上がるにつれて主体性が失われていくという指摘がありました。しかし、私はこの点に疑問を感じました。中学生でも、スマートフォンを使うためには工夫を凝らし、努力を惜しみません。これは、保育園児、小学生、中学生に共通して見られる主体的な活動の一例だと思います。つまり、主体性は年齢に関係なく持続しており、なくなるものではないのではないかと考えます。

では、なぜ主体性が失われているように感じるのでしょうか。それは、私たちが求める「主体的な活動」の範囲が、年齢が上がるにつれて狭くなっているからではないでしょうか。教育現場での主体性に対する評価基準が限定されているために、主体的な活動が見えにくくなっているのかもしれません。

このことは、英語活動にも通じると感じています。保育園児と中学生では、学習の成果に対する評価が異なり、保育園児の場合は「できたこと」に焦点が当てられますが、学年が上がるにつれて「できないこと」が強調されがちです。これが、学習の進展に対する見方を左右しているのではないかと思います。

だから、今週の中学校の研究授業を参観し質問しました。

いくつかの小学校から生徒が集まっているが、小学校での英語への取り組みに差があるとおもわれる。小学校段階での英語の習得はその後の学習に関係するのかということです。

中学校の回答では、最初はあるようでも、中学校で学習を進めていくと、その差はなくなり、小学校段階の差というより、個人の資質によるものだということでした。

つまり、連携のために頑張ったところで、それはずっと影響するものでなく、中学校でしっかりと補っているということでした。

こういうことから考えていくと、次の学校との連携は、先の学習のためというより、個人の資質による習得課題にどう関与していくのかということになると思います。


さらに、私は今回の研修で絵画に関する議論も興味深く感じました。園児の絵画が天才的と評価されることがありますが、これには誇張があるのではないでしょうか。園児の絵画は、その子どもの発達段階を表しているにすぎず、絵画的な才能というよりは、運動能力の表れだと考えられます。大人が過度に意味づけを行うことで、その価値が誇張されてしまうこともあるのではないかと感じました。

その証拠に、最初は何を描いているのかわからないままで絵の解釈をもとめたとき、返答にぶれがあったのに、何を描いているのか分かったとたん、そのものに意味をみいだし、子どもの絵は天才的だとみんなが納得しだしたことです。

もし、その作品自体に絵画的力があれば、最初の段階で素晴らしさを感じていたはずです。題材など必要ないのです。

あの絵を小学一年生に見せたとき、絵画的力があれば、だれでも天才的だと言うでしょうが、たぶんそういう発言が出るとは思いません。つまり、大人が意味づけすることで作品の価値がついてきているのです。そして、子どもたちが求めている絵画の描画方法もそれぞれだと言うことです。


こうした考察を通じて、子どもの成長を評価する際には、広い視点から目標を設定し、それに向けてどのような取り組みを行うべきかを再考することの重要性を改めて感じました。



本当に有意義な研修となり、感謝しています。



研修は主体的に参加してこそ子どもたちに示すことができる

研修への参加を主体的におこなっている私なので、感想をしっかりかくように心がけています。その思いや行動は普段の授業において、子どもたちへのメッセージとして伝わっていると思っています。

だから、私が受け持った学級では、感想を求めると全員が当たり前のように長文を書いていました。