習いごとが続かなかった理由 384-20240207
よく考えるんですよ、子どもの頃にピアノとか書道とか、そろばんとかその他いろいろな習い事を、続けられる子どもだったらよかったのに、と。特にピアノは羨ましい。
子どものころ、習いごとが続かなかったんですよね。習いごと自体には通わせてもらってたときもあったんですが、ことごとく途中で投げ出していました。こんなに毎日、どうでもいい文章を書き続けられる大人になっているとはその頃の自分は思っていなかったでしょう。
なぜ、続けられなかったのだろうか、と考えてみると、子どもの習いごとって、親が関与していることが多いじゃないですか。親がサポートしたり、興味・関心を向けてくれたり、ほめたり、足りない点をアドバイスしたりとか。
そういうのが、なかったんですよね。うちのきょうだいは習いごとをいっぱいしていて、全て続けてすごい級とか段とかまで行ってたので、そのことと比較されるのがいつも辛かったんだと思うし、なんかうまくいっても関心を持ってもらえないので、自分の力だけでは進めないのに、サポートもないから、それは続かないっていうことだったんじゃないかなと思います。
衣食住は足りていたので、ネグレクトとかではないと思いますし、学校の成績についてはなんだかんだ言ってくるので、そういう競争に勝てるかどうかみたいな部分には関心があったのかもしれません。でも僕個人がどうなるのかっていうことに対しては全然関心なかったのかもしれないな、といつも思うと、なんだか悲しい気分になります。
だから、というわけではないですが、僕は子どもの皆さんにはすごく関心を持って接するようにしています。子どもの皆さんはすごい。ほめるところしかない、というわけではないですが、親に叱られることもあるだろうから、部外者の自分としては精一杯、伸ばせる力を伸ばす方向に向けてあげられるようにすることを心がけています。
今自分がちゃんと生きているから、別に親が憎いとかいうことはないし、結局社会に放り出されたら一人でなんとかしないといけないことも多いし、もしダメに成ったときにセーフティネットもあるから、なんとかなる。日本では。それでも貧困に成ってしまう人がいることは悲しいことですね。
そんなわけで、今この日記が続いてること自体が奇跡なので、もっとほめてくれてもいいのよ。
はい。以上です。
※TOP画像はDALL-Eで作成しています。