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1番好きな映画が決まった話/ソラニン

2010年公開の映画なんだね。
2010年って言われると、そう昔でもないじゃーんって感じるけどもう10年前なのね…
宮崎あおいちゃんが親子揃って好きで、公開同時に母と見に行った記憶はある。
でも当時中学生(たぶん)だった私には、リアリティが乏しく、あんまり印象には残ってなかった。

たまたまAmazon primeで配信されてたので、どんなんだっけ?という気持ちで観てみました。
結果めちゃくちゃ泣いた。

社会人3年目を迎えて、同棲して1年を迎えて、
作中のシーンが度々、自分の生活に重なった。
毎秒がありふれているのに、そこに大切なものがあると感じさせる。同時に重ねている自分の生活も、なにかすごく価値のあるものに思えてくる。

いわゆる「エモい」作品なんだろうな。
でもその「この作品エモいでしょ」感がないというか。私は映像作品でも文学でもアイドルでもそういう演出感を醸されるとめちゃめちゃ冷めてしまうんだけど、この作品はそれがない。
あおいちゃんを筆頭に俳優陣のナチュラルさとコミカルさがちょうど良くて、現実味がある。

特に好きなシーンはふたつ。

ひとつは、物語の転の部分にあたる、種田の事故の場面。
今の生活が本当に幸せなのかという問いを振り切るようにアクセルを回したことで事故を迎え、死の間際の走馬灯の中でその生活が確かに幸せだったと確信する。
皮肉で悲しくて、人生の本質を掠めたシーン。
大事なことこそ、終わるときにしか気づけなくて、後悔する時にはもう取り返しがつかない。
だけどなぜか、多幸感に溢れたシーン。
高良さんの演技すごい。

もうひとつは、ビリーが種田の死に言及する場面。
種田の死を身勝手だと罵りながら、それでも涙が止まらないのだと吐き出すビリー。
そうだよね、と心から思う。感情は単色じゃなくて、いつだってマーブル模様でカオスだ。
私たちはそんな混沌とした感情の渦を、人に伝える時に嬉しい、とか悲しい、とか単純なラベルを貼ってしまう。でも単純化した時点でただしく伝えることが出来なくなってしまうんじゃないか。
気持ちを整理することを早々に放棄して、カオスなままの自分の気持ちと向き合うビリーもよかったし、
それを「あんたいい奴だね」と受ける芽衣子も良かった。

冷静になると、なぜあんなに泣けたのか、あの涙はなんの涙だったのかつくづく分からない。
分からないままで良いんだと思う。
理由がわからないまま、好きだと思えることは、そういうものに出会えることは、幸せだなぁと私は思う。

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