天津飯食べたい
もちろん合計点が高い順に個人名が並ぶリストが廊下に張り出されたりはしなかったけれど、中学生になると全てのテストが返却された数日後に自分が全体の中で何番目くらいなのかわかる表が生徒全員に配られるようになった。まあそれはともかくとして、100点、90点、80点と大雑把で味気ない点数が並んで差のつかないテストはあまりなかった記憶がある。そのせいか小学生の頃はのび太がとる3点とか7点とかのキリの悪い点数になぜだか強く心を惹かれていた。青白い紙に丸っぽい文字が並んだいかにも教科書会社が作ったテストは嘘くさくて、子供を馬鹿にしているなと子供ながら感じていたような気がする。早く本当の試験とやらを受けてみたいと思っていて、偏差値なるものに憧れを抱いていたような。だから中学生になって、不完全ではあるものの自分の順位が朧げながら認識できるようになると、やっと大人になれたのだと嬉しく思った。
最初の中間テストでいい点をとると、それが癖になって成績も良くなるよと母親に言われ、純朴だった僕は真面目に勉強して最初の定期テストでそこそこ良い点をとった。なるほどその言葉は正しかった。確かにbeautifulのスペルがさっぱり覚えられず、発狂しながらノートに愚直に書き殴ったくせに翌朝baetifulと書いてしまって自分の脳味噌を嘆き悲しんだこともあったけれど、まあ概して比較的良い点をとるのが常になった。それでいい気になって、僕は天才だと誤認するようになった。みんなきれいにノートを作って赤シートを重ねたりしているけど、僕はそんなことをせずとも良い点がとれる。第一こんなにも教科書通りなのに間違える問題なんてあるもんか、と。それが勘違いだと気づいたのは、高校に入って化学の計算がどうしても理解できずに偏差値30を叩き出してからだが、その話はまた別のお話。
調子に乗った僕は、テストの際に開始の合図を聞いても慌てることなくゆっくりと試験用紙をめくって丁寧に自分の名前を書いて周りを見回してから軽く口笛を吹いて試験に取り組むようになった。口笛が下手くそだから死にかけの呼吸みたいだったけれども。まあそれでも試験時間の半分くらいでぜんぶ解き終わってしまうし、点数も結構高い。いや、郊外の公立中学校の中ではまあかなり高い。ああ、やっぱり僕は天才だ。みんな慌てているけれども、僕だけはゆっくり試験を解いて、なおかつ高得点。余裕ある僕。大人の色気。癖になる。さて、癖になってしまった。だから本当は慌てるべきタイミングでも余裕風を吹かせてしまうようなってしまい、23歳にもなって大学の卒業も近くなったのに僕は就活をしない。
マルシン飯店の天津飯がたまらなく好きだ。丼いっぱいにとろりとした餡が満ちていて、フワフワの卵が塩気のきいた炒飯に絡む。木屋町でほろ酔いになって、大豊ラーメンとか長浜ラーメンみよしをあえてスルーして寒い三条通りをゆっくりと大股で歩く。辛気臭い失恋のお話だとか単位の話をほっぽらかし、夢のある話を列の先頭になってわりにおおきな声で演説する。お酢の匂いをかき分けてたどり着いた東大路には分厚いコートを身を纏って寒そうに白い息を吐く男女が数組並んでいる。やっぱり並んでるじゃんか。でも今さら木屋町に戻るのもめんどくさいよねと愚痴を言い合っていると次第に列は短くなっていく。僕たちの後ろに並んでいる人たちを哀れみながら辛気臭い話を再び始めると、パリッとしたスーツを着込んだいかにも仕事の出来そうな男たちがおおきな声で小さな男を説教しながら店を出てくる。ああ、寒いなあ。餃子も頼もうかなとウキウキしながら考えて、熱気のこもった店の中に入ると就職先の話を熱く語る大学生の姿。レモンチューハイのおかわりを頼む若々しい声を尻目にそそくさと席について僕は就活をしない。
五山の送り火という正式名称は知っているのになぜだか大文字の日と言ってしまう。そもそも大文字は五山の一部分なのに左京区に住んでいるからか五山と言えば大文字だと勘違いしてしまう。僕の下宿は四階にあるから大文字の日になるとすごいきれいに見えますよと言われてこの部屋の契約を決めたはずなのに毎年その日になると居酒屋でバイトをしながらおじさんの愚痴話を聞いている。そう言えばあの不動産屋のお兄さんも大文字の日と言っていたっけ。大文字を犬に変えてしまった京大生の話は毎年8月になると誰かしらがするのだけれど、もちろん僕にそんな勇気はない。いつだってお上の機嫌を伺いながら狭い下宿で腐っていくばかりだ。まあ、僕にはそんな大それたことはできないけれど犬の火文字を見てみたい気はする。そんなふうに全てを他人事に済ませてちょっとかっこつけて冷笑的な態度をとっていたらいつの間にかつまらない人間になってしまったらしい。昔からか。メタ視点は賢そうだけれどその上にもメタがあってぐるりと一回転してメタは消えて無くなってしまう。だからいつかは冷ややかな態度を捨てて熱心に物事に取り組まなければならないはずなのに僕は就活をしない。