なぜ大人は自分の気持ちがわからないのか。
あなたって今、どんな気持ちですか?
「なぜ大人は、自分の気持ちがわからないのか?」という話をしていきたいと思います。
ぼく自身がまず、「自分の気持ちがわからない」っていうことに5年前ぐらいに気づいたんですけど、それから人の悩みを聞いたりとか相談を受けたりということを仕事にするようになってからもやっぱりよく思うのは、「自分の気持ちがよくわからない」っていう人、めちゃくちゃ多いなということです。
これはなぜなのか。ということちょっと考えてみたんですね。
みなさんは、物心ついて今日までに、こういう質問ってされたことありますか?
「あなたって今、どんな気持ちですか?」
あなたって今どんな気持ち(感情)ですか?って、聞かれたことありますかね?ぼくはもう、記憶にある限りないんですよ。
要するに、気持ちを聞かれた記憶がないってことは、自分の気持ちについて考える機会が全くないってことなんですよね。不思議なことですが。だから単純に、自分の気持ちがわからなくて当然なんじゃないかなっていうふうに思うんです。
逆にね、「あなたはどう思いますか?」とか。「これについてどう考えますか?」とかっていうのは、小学校入ったぐらいから聞かれるようになるじゃないですか。例えば国語の問題だったら、「このときさくらさんはどういう気持ちになった思いますか?」とかって聞かれるわけじゃないですか。「知らんがな」って話なんですけど、「どう考えるか」とか「どう思いますか」っていうのは聞かれる。
その前提には、どう思ったら「正しい」とかっていう”正解”があるから聞かれるわけですよね。「さくらさんは特に何も考えてなかったと思います」とかって言っても、それ国語だとバツになっちゃうわけです。こんなふうに、小学校以降は何らかの「正解を答える」ということを前提に質問をされることが多い。だから、ぼくらが何かを考えたり発したりすることの前提がもう、何か答えに向かって発信するっていうことになっちゃってる。
その逆に、自分の気持ちとか自分の感情っていうのは全く正解がないものじゃないですか。「今日は悲しい気持ちだな」とか、「今日は低気圧が来てるからなんかちょっとだるいな」とかね、「なんかムカついたな」とかね。そういうのって正解とかじゃなくて単純に「そう思った」っていうことでしかない。「そう感じた、そういう気持ちです」っていうことでしかないんですよね。
でも、それを聞かれる機会がないんです。その代わりに考えていることは、「明日の仕事でどううまくやったらいいかなぁ」とか、「上司にこういう質問されたらどう答えようかなぁ」とか、「旦那さんに何か聞かれたときに、どういったらいいんだろう」とかね。
「どうしたらいいんだろう、どう考えたらいいんだろう、、」
いつも”いいんだろう”っていう発想。
常にそうやって正解が何かを考えてしまう習慣というか、物心ついたときからそうしているんだから、「あなたいま、どういう気持ちですか?」とかって聞かれても、「いや、別に。」ってなっちゃう。(笑)
そういうことだと思うんですよね。これが、”大人が自分の気持ちをわからない理由”だと思うんです。
自分が持ってないものを持っていると、妬ましい
でね、そうした自分の気持ちがわからない大人たちが、子どもが産まれて子育てをしましょうってなったときに陥りやすいのが、”子どものむき出しの感情に対する拒絶反応”から子育てが嫌になってしまう、というパターン。
子どもって基本的に、感情むき出しじゃないですか。感情むき出し。
本当は自分も感情を持って生きているはずなのに、そんな感情むき出しの子どもを見ると、なんかとてつもない拒絶反応というか、「なんだこいつは?」みたいなふうに思ったりしませんか。
ぼくは息子くんが生まれてしばらくはね、なんかすごく羨ましかったっていうか、妬ましかったっていうのはすごいありましたよね。「こいつなんか好き勝手に泣きたい時に泣きやがって」っていうね、すごく感じたんですよ。
それは簡単にいうと”妬み”なんです。自分が普段自分の気持ちを感じていながら、発したり外に吐き出す機会が無いがために、それを目いっぱいやっている存在を見ると、「もうすごくなんか妬ましい、、」みたいになるのはやっぱあると思うんですね。
それが、「私子ども嫌いです、、」とか「子育て向いてない。。」とかっていうふうに、子どもに対してのネガティブイメージになる要因の一つなのかもしれない。
感情日記をつける
じゃあどうすればいいのか?っていう話なんですが。これはすごくシンプルで、「今私どういう気持ちなんだろう?」っていう所。ここに注目をするってことです。
ぼくが毎日やっていたのは、寝る前に『感情日記をつける』っていうことなんですよね。
今日「どう思った、どう感じたか」っていう『感情』を、ノートに書き出すっていうのをずっとやってたんです。
きっかけは、息子くんが生まれた後に、自分が「楽しそうに生きてない」っていうか、「笑ってない」っていうことに気づいちゃったんです。でも子どもは好き勝手に泣いたりしている。そんな子どもに対して妬ましい気持ちを持ったまま、この先の人生を生きていくってどうなんだろうなぁ、、って思っちゃったんですよね。
だから、自分の感情をもう少し捉え直すというか、「もっと子どもみたいに感情全開で生きていった方がいいんじゃないかなぁ」っていうふうに思って。そこから毎日『感情日記』を書くようになりました。
そしたら息子くんに対する妬みも消えて、今では息子くんと一緒に泣いたり笑ったりができるようになったんです。
だからね、今「自分の気持ちがわからない」っていうか、「今どういう気持ちなの?」ってもし聞かれたときに「別に。」って答えたくなる人は、自分の気持ちを知らず知らずのうちに溜めちゃってる可能性があって、だからこそ感情的な人を見ると、すごくムカついたり許せないっていうふうに思っちゃうと思うんですけど。
「自分の気持ちがわからない」大人になる構造上の理屈はやっぱり、”感情について聞かれることがない”からないんですよね。社会に出ていくと。
だから『そういう機会を自分で作る』というのは、すごく大事なんじゃないかなぁっていうふうに思います。
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むねを
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