珈琲に人生を捧げてるが故、つまらない人間になっている気がする
先日東京に行ってきた。
家族にも友人にもなんで行くの?と問われたが正直今回東京に行く理由は特に無かった。
ただなんとなく行きたい、
というそれだけである。
いつも東京に行くときは一人である。
理由としてはただ一つ。
誘うのが面倒臭い。
日程合わせだのルートだの宿だの、そういうのが決められないし、女の子特有のどうする~~~??と言っている時間の間が無駄だと感じてしまう。
そんな中で今回も一人できままに東京に行ってきた次第である。
今回に関しては全日程東京の知り合いと会うことになり、それに関してはとても楽しみだった。
が、そこでなんとなく感じてしまったのが、私にはコーヒーしか無く、それである故クソつまんねえ人間になっているなということだった。
二日間めいっぱい遊んで、それなりに今回は観光したし、いっぱいショッピングしたし、普通の人間っぽいのだが、購入したものはカリタ柄のふきん一つだった。
しかも話すネタといえばコーヒーの話題以外無い。
なぜならそれしか無いからである。
卒論もサークルもバイトも交友関係もコーヒーで占められている。
趣味に浸かっているからいいじゃんって感じなのかも知れないが、人間性としてはクソほどつまらない。
確かにコーヒーというジャンルは素晴らしい。
どんな年代の人とも話せるし、女子ならおすすめのカフェで盛り上がれる。しかもなんとなくおしゃれ。これ以上共通の話題になり得る話を私は知らない。
”珈琲趣味にしてから友達も恋人も出来たし、就職で内定ももらえたし、宝くじにもあたったし人生薔薇色です!!”
と冗談交じりにいうことがいうこともあるが半分ぐらいは嘘ではない。
それぐらい珈琲には感謝している。
しかし、それしか無いとなるとどうだろう。
人としての魅力ははたしてあるのだろうか。
今までの内容と拮抗するようだが私は多趣味である。一応。
バイクだって大型まで免許を持っている。写真もちゃんとミラーレスのものを所有していたりして、若干金になりそうな事業もやっていたりもした。
音楽もずっとなんやかんややっている。
鉄道も詳しいわけではないが、暇があればサンライズや青の交響曲に乗ったり、30分で帰れる距離を大回り乗車して1時間半かけて帰るレベルでは好きである。
だが同じ熱量まで持ってこれる趣味は一つもなく、結局生活の9割は珈琲に占められてしまう。というか鉄道乗っても珈琲を飲み、カフェに行き写真を撮りなど行きつく先は珈琲だったりする。
社会人になればもっとコミュニティは狭くなる。
そして本当に珈琲しかなくなる。
その時同じ業界の人と話してベースとして生活の中に珈琲があるような人たちの中で魅力的と思ってもらうにはどうしたらいいのだろうか。
いっそ全く興味ない専門学校でも通うか?
趣味が強すぎるがゆえの弊害かもしれない。
どうにかしてくれ。
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