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0094:人生はなぜ辛いのか

人生はなぜ辛いのか、という話

さて、たくさんの話を書いてきたこのブログですが、一貫して
「人生が辛いのはなぜか」
という疑問に対する、考察と推論を書いてきたつもりです。

例えば、この世界(地獄天国)のこと。

例えば、この世界を構成する粒子「モト」のこと。

例えば、モトとわしらのココロとの関わりのこと(好き嫌いゲージ)。

例えば、のこと。

例えば、モトの存在する理由と、神さまのこと。

例えば、人生がシナリオであること。

例えば、他者と自分の関係とつながりのこと。

他にも、恋愛お金自分自身との付き合い方のこと。
個別のドラマ0002)の話でしたね。

これらの話は、「人生が辛いのはなぜか」という疑問に端を発する、わしの考えてきたことと、それらのわしなりの解釈から成り立っています。

だから毎回書いてますけど・・・あくまで、わしの「アタマ」の中で考えたことなので、まるっきりデタラメかもしれないんですよ。わしの書いたことが、汝らの役に立てばなぁと思ってはいますけど、丸のまま信じてしまうのは危険すぎます。

絶対に、一度立ち止まって、自分なりに考え直してみて下さいね。
(^~^;)


で、です。

これらのことを踏まえて、今回は、じゃあなんで人生って、辛いんだろう? ということに、ズバッと一言で答えてみたいと思っているんです。

ほら、(0091)でアイネイアーが「選べ、もう一度」と、自分の演説を二言に縮めてしまったみたいにね。
d(^~゜ )


人生が辛いのはなぜか

というわけで、ここで一旦、人生が辛いのはなぜか? という疑問に対する、わしなりの答えを示したいと思います。もちろん、今までの話を、全部踏まえてです。

人生が辛いのは

「許せないことがあるから」

です。

逆に言うと、

より多くのことを許せると、人生はあまり辛くなくなる

ということです。


もっとも難しく気高い行為、「許す」ということ

許す、という行為は、実は一番難しい行動なんです。

わしらは、地獄に生きているんでしたね(0004)。地獄では、他の生き物を襲って食べないと、死んでしまうんでした。

そして、わしらは、死なないようにしなければならない、というプログラムの元、生きています。

なので、自分を害するものを排除するように、本能的にプログラムされています。

これは生き物の生存競争に限った話ではありません。人間同士でも、金銭的、財産的に自分を害しようとする他者は、排除するように行動しますよね。

他にも、名誉や地位、プライドといったものも、わしらが普段守っているものです。そこに踏み込んでくるような他者を、やっぱりわしらは排除しようとします。


とはいえ、人間の社会には、他者との距離、というものがありますので、ごくごく近しい家族や友人には、自らお金や食べ物を分け与えたりすることは、よくあることです。

前に「自分の範囲」というテーマで書いたことがありましたよね(0038)。「自分の範囲」が広がると、近しい存在をまるで自分自身であるかのように愛せるんでしたね。

けど、やっぱり「踏み込まれたくない一線」みたいなもんが誰にでもあって、わしらはそれを踏み込まないようにお互いに気を遣いながら、生きていたりします。


なので、実はわしらは普段
「何を許さないか」
ということを、ものすごく気にしながら暮らしています。それも、無意識に

だから、これら本能と正反対の行為である「許すこと」は、とても難しいんですね。


ゆえにこの「誰に、どこまでを許すか」の範囲が狭いと、人生が辛くなるのではないか、とわしは考えています。


なぜ「許せない」と人生が辛くなるのか

世の中、許せないこと、いっぱいありますよね。

事件や事故なんかをニュースで見ると、許せない気持ちになったり。

また、プライベートでも、他の人が自分の物を勝手に使ったり、自分の友達に知らないところで連絡を取っていたり、ズケズケと個人的な事を聞いて来たりとか。

そういうのが「許せない」ことの代表だったりするのかな、と思ったりしています。


許せない、という考えは(許すかどうかを判断しているのは、実はアタマです)、ココロ「怒り」を呼び起こします。

思い出してください、怒りは「防衛反応」でしたね(0033)。そして、好き嫌いゲージは「嫌い」の方に傾いているんでした。

アタマが「許せない」と考える、言い換えると、「許さないでおこうと決める」と、ココロは「怒り」の状態になり、好き嫌いゲージが下がってしまい、モトが流出してしまいます。

つまり

「許さない」という考えが、モトを減らしている

のです。

モトが減ると、好き嫌いゲージが上がりにくくなります。なので、人生が辛くなってしまうんです。

・・・長くなってきたので、続きは次回にしましょう。

さっきも書いたけど、わしの話は信じ込まないで、かならず汝なりにアタマで咀嚼(そしゃく)して下さいね。

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これは、拙ブログ『人生はなぜ辛いのか、と思った時に読むブログ』からの転載です。イラストや強調で分かりやすい、本家サイトはこちら。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/
このブログの文章を初めてお読みの方は、ぜひ第1回からお読みください。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/2018/09/0001.html
今回のエントリーのページはこちら。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/2019/05/0094.html




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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)