0096:「許す」ために必要なもの
「許す」ことの話
前回(0095)の続きですね。
前回はわしのしょうもない人生の話を書いたんですけど、まぁそれは何にも参考にならないとして(笑)、そんなしょうもない人生を経て、わしが色々なことを許せるようになったって話だったかと。
これは単純に、わしが年寄りになってしまったから、老い先短い身になってしまったから、というのもあると思うんですよね。
だから、わしより若い汝は、これからいろいろな経験を経て、勝手に「許せる」ようになっていくのかもしれないな、とも思うんです。
それでもいいのかもしれないと思います。
けどね、どうせなら、その時が早く来た方がいいでしょ? そのために、参考になることを書けたらいいなと思います。
「許す」とモト
誰か、何かを「許す」時、当然、モトが動きます。
ていうか、モトが既に動いていて、その動きを、アタマを使って「許そう」と決める、そういう順番でわしらは何かを許しています。
モトが既に動いている、ということは、気持ちが変化している、ということです。
ほら、好き嫌いゲージと感情の話(0015,0033,0034)を思い出してください。モトの動きと人間の感情というものには、密接な関係があるんでしたね。
モトが動く、言い換えれば、ココロが動くとき、まず感覚器官でカラダが周囲から刺激を受け、そしてアタマが「それは何か」を考えて、そしてココロが「モトを流す」(=好き嫌いゲージを動かす)ことによって、感情が出てくるんでした。
人のココロは、モトをもらえた時、嬉しい気持ちになります。そして、モトを失った時、不安な気持ちになります。好き嫌いゲージで、モトの量を測っているんでしたね。
実はね、「許す」という行動は、この
好き嫌いゲージの動きの「後」に起こす行動
なんです。
まとめると、
カラダ(周囲)
↓
アタマ(理解)
↓
ココロ(気持ち)
↓
で、その気持を許すか、という順番なんですね。
「許す」のはなぜ難しいのか
もう少し詳しく見てみましょう。
わしや汝が何かを目の前にして、ココロに起こったモトの流れや、それによって持ち上がった気持ち、それらをアタマで観察して、そうした後に、わしらは
そのモトの流れを、許すのかどうか
を、アタマで判断しています。
「許す」という行動のメカニズムは、このようになっています。
嬉しい気持ちになった時、ココロではモトが増えていっています。対象から注目されているから、こちらにモトが送り込まれているんでしたね。もしくは、自分自身の「愛」の状態(0035)によって、自分自身でモトを生み出しているか。
それに対して、不快な気持ちになった時、モトはたいてい相手に向かって流出していますし、ココロのモトの量は、減少しているか(怒り、悲しみ)、とても少なくなっています(恐怖)。
わしらが何かを「許すかどうか」判断しているのは、この後なんです。
(^~^ )
だから、難しいんですよ。意識して「許そう」としないと、大概のことは、気分に従って、無意識に決めてしまいますのでね。
(^~^;)
特に、不快な気持ちになっている時、その時のモトの流出を「許そう」と決めて、実際に許す行動をとるのは、とてもエネルギーを使う、難しいことだと思うんです。
想像してみて下さい。なにか失礼な事をされて、カッとなってしまったこと・・・誰にでも一度はありますよね。
その時、汝のモトは相手に注目することによって、ドバっと流出します。流出するので、怒りや不安感が増します。
その時に「相手を許そう」と、アタマで決められるかどうか、という話なんです。
・・・難しいですよね。怒っている自分をコントロールするのも難しいのに、そのうえで、相手を許さないといけないんですから。
(^~^;)
どうすればいいんでしょうね? どうすれば、いろんなことを「許せる」んでしょうか。
「許す」ために必要なものは何か
結論から言いましょう。「許す」ために必要なものは
今までわしが書いてきたこと全部
です!!
d(^~゜ )
・・・ふふ、ちょっと範囲が広すぎますかね?(笑)
(^~^;)
でも、これまでわしが書いてきたようなこと、たとえば・・・
・この世が地獄であること(0004)
・わしらが三つのパーツでできているということ(0007)
・好き嫌いゲージというもの(0015)
・わしらはモトでできているということ(0027)
・わしらはモトをやり取りして生きているということ(0033,0034)
・モトは増やせる、ということ(0030)
・モトの正体は、わしらの本体であるうにであるということ(0042)
・わしらは全員が、うに(=神さま)の一部分であるということ(0051)
・だから、神さまはわしらのことを全部知っているということ(0061)
・未来で起こる出来事は、既に決まっているということ(0058)
・なので偶然起こる出来事は、実は一つもないということ(0061)
こういう「知識」が、汝のこれまでの「経験」と結びついた時、初めて、自らのモトの流出を
「許しても、自分は大丈夫」
という自信が生まれるんじゃないかと、わしは思っています。
特に、今の汝の感情(怒りであったり、恐怖であったり)は、モトの流出によって起こっている現象であり、失ったモトは、今相手から奪い返さなくても、あとでモトを増やすことによって、取り戻せる、という知識ですね。
それに、「この世界は地獄」であって、地獄というものは「モトによって表示されているに過ぎない、仮想世界のようなもの」という知識も、役立つかもしれません。
これらの「知識」と、それまでの汝の「経験」が、わしのコバエ戦争(0023)みたいに、汝のアタマとココロの中でがっちり結びついた時、汝がモトを失うことを「許せる」ようになるんじゃないかと思います。
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この「許すこと」は、人生が辛い時には、特に大事なことですので、次回また掘り下げましょう。
わしの話、かならず一度は疑ってみること。
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これは、拙ブログ『人生はなぜ辛いのか、と思った時に読むブログ』からの転載です。イラストや強調で分かりやすい、本家サイトはこちら。
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