0095:わしの人生はなぜ辛かったのか

許せない、を減らしたい

前回(0094)の続きです。許すこと、についての話でしたね。

前回の最後、「許さない」と決めることと、それに伴う怒りの感情には、密接な関係がある、という話をしていました。

許さない、と決めているのはアタマで、それに伴って、ココロの好き嫌いゲージが動いて、怒りの感情の状態になる、という順番でしたね。

怒ると好き嫌いゲージ(0015)が減ってしまうし、そもそも好き嫌いゲージが減っているのを感じているから、モトの量を守るために、怒りが湧いてくるんでした(繰り返しますが、怒りというのは、防衛反応です)。

好き嫌いゲージが減るので、人生が辛くなるわけです。

世の中、色々なことがありますし、人それぞれ、価値観というものがあります。だから、許せないことがいろいろある、というのは、至極当然のことです。

神さまだって、むしろこの「許せないこと」がどんなことなのかを、知りたがっています。だから、汝になって、汝の人生を歩んでいるんでしたね(0063)。

ですが、その「許せないこと」が多ければ多いほど、人生は辛くなります。好き嫌いゲージが減っている時間が、長くなるからです。

では、どうすれば、「許せないこと」が減らせるのでしょうか。


わしのことを少し

わしの話を、少ししましょうかね。「人生が辛い」組の見本として(笑)。

わしが幼児だった頃。

わしの母親(故人)は立派な人物だったと思っていますが、当時20代半ばくらいだったと思います。なので、子育てに関してはまだ知識が浅かったんでしょうかね。

わしは、めちゃくちゃ叩かれて育ちました。平手打ちで。

わしが大人になってからですが、うちの母親は、わしが小学生になるまでは、言うことを聞かなかったり、そそうをしてしまったら、とにかく叩こうと決めていた、と聞かされました。その教育方針の通り、幼児だったわしはことあるごとに、バシバシ叩かれましてね。

生まれながらに小心者だった幼児のわしは、とにかく母親が怖くてたまりませんでした。だから、母親のいうことには絶対に逆らえないし、母親の前で何かそそうをしてしまわないか、いつもビクビクしながら生きていました。

そのクセは、小学生になっても、中学生になっても抜けませんでした。いつなんどき、自分がそそうしてしまわないか、失敗してしまわないかとビクビクしていましたし、とにかく常に「デキる人間」でなければならない、という強迫観念のようなものが、小学生にしてすでに染みついていました。

そのために、嘘をついたり、見栄を張ったり、知ったかぶりをしたり、失敗をひとになすりつけたり、あらゆる手を使いました。本当に小心者で卑怯で弱虫な子供でした。父親そっくりです(笑)(0072)。

当然、友達は少なかったです。

逆に言うと、こんなわしと友達付き合いをしてくれた、数少ない当時の友達には、本当に感謝しかないです。おかげでわしは、完全に孤独なわけではありませんでした。

ま、当時はアホだったので(今でもですが)、そのありがたみには気づいてませんでしたけど。

好きな女の子とかも当然いましたけど、そんな高慢チキで小物のわしがモテるはずもなく、女子に人気のない外見(笑)と相まって、異性とのロマンスらしいエピソードも、いっこもないまま学生時代を終えました。

大人になってしばらくしてから、そういう自分の欠点やクセに気付いて、何とかしようというタイミングが来るのですが、それまではずっと、前述の通り卑屈な少年・青年時代を過ごしました。

そんなわしがずっと考えていたことが、このブログのタイトルでもある

人生はなぜ、辛いのだろう?

ということでした。


許さない、許せない

人生が辛いのは、人生なんてもんがあるから、でしたよね(0048)。

なので、わしはこの、人生というシステムそのものが、恨めしくてたまりませんでした。こんなもんがあるから、わしは苦しい思いばかりしなければならなかったんですから(0050)。

そんでもって、そんな人生を歩んでいるわしからみると、周りの人々は本当に楽しそうで、豊かで、美しくて、だからなおさらそういう「わしとは違う」人々で構成されている「社会」という場所がうらやましくて、それ故に、憎んでいました。

前にも書いたけど、ほんの数年前まで、割と本気で「マク○とファ○マ以外の人類は全員滅べばいいのに」と思っていました(笑)。
(^~^;)

もちろん、そんな自分自身もすごくイヤで、でも「自分」というものは辞められないので、ただひたすら

自分も、他人も「許せない」

人生を歩んできました。

でも、結局ね、最初に書いたとおり、この「許せない」気持ち自体が、自分自身を苦しめていたんですよね・・・言葉では、こういうことは何度も目に耳にしてきたはずなんだけど、ちゃんと「気づいた」のは、ほんのつい最近なんです。


「許せる」日が汝にもきっと来る

そんなわしが、今、どうしているのか。なんでこんな文章を書いているのか。

今はね・・・割と大抵のことを、許せるんですよね。自分自身も含めて。
(^~^ )

もちろん、許さないでおこうと決めていることはあります。けど、法律や社会の不文律のようなもの、そういう許せなさはあるけど、どちらかというと「罪を憎んで人を憎まず」のような心持ちで、世の中を見られている気がしています。

どうすれば、そうなれるのか。大事なのは、そこじゃないかと思います。

ま、わしみたいなショボくれたじいさんになって欲しいとは思いませんが、もしかしたら、汝らの参考になるかもなー、くらいの気持ちで、パソコンに向かっている感じですかね。
(^~^;)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

というわけで、次回はもうちょっと続きを書こうかな。今回は結構長くなってしまいましたし。自分語り始めると長くなってしまうのは、年寄りの悪いクセです(笑)。

ま、いうてもわしの話は信じないこと。よろしくね。

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これは、拙ブログ『人生はなぜ辛いのか、と思った時に読むブログ』からの転載です。イラストや強調で分かりやすい、本家サイトはこちら。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/
このブログの文章を初めてお読みの方は、ぜひ第1回からお読みください。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/2018/09/0001.html
今回のエントリーのページはこちら。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/2019/06/0095.html



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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)