4-5-1:お金あつめとモトあつめ①(人生はなぜ辛いのか?と思った時に読む『モト』の話)
4-5-1【お金あつめとモトあつめ①】
お金とモトの関係について
ではこの章の最後に、先ほどほんのちょっとだけ出てきた
「お金」と「モト」
についての話をしようと思います。お金についても、恋愛と同じくらい僕たち全員の関心事ですからね。
僕もみんなも「お金」だいすき!
みなさん、お金は好きですか?
とたずねられると、大半の方が
「大好きさ!」
と答えるのではないかと思います。僕もそうです(笑)。
お金なんてあればあるほどいいし、逆に言うと、ないと本当に困りますもんね。特に、社会人になって自分の手でお金を稼ぐ身になると、その大切さやそれを集める大変さは、身にしみて分かるものです。
そして、大変だからこそ、さっきの質問に
「お金は、ときにすごくイヤなものだよね・・・」
なんて、言いよどんでしまう方もいるのではないかと思います。
とはいえ、僕たちは日々、この「お金」に翻弄され、必死になってこれを集めて、そしていそいそと溜め込んで暮らしています。なくなるととても困りますもんね、お金ってやつは。
そういうわけで、お金というものは僕たちの「人生の辛さ」にも大きく関係しているものではないかと思うのです。ですので、ここで「モトの観点」からお金というものを見ていきましょう。
改めて「お金」って何だろう
そもそも「お金」とは、「何」だと思いますか?
大抵の方は、普段そういうことは全然考えないんじゃないかと思います。お金は当たり前に市中に存在するし、多かれ少なかれ、手元にもありますもんね。ですが、人生を辛くないものにするためにあえてここでまず、このことを考えてみましょう。
お金とは何か? といっても、例えば「金属」とか「紙キレ」だとか、そういう話ではありません。お金という「概念」の話です。
時に僕たちを喜ばせ、そして時に悲しませる「お金」。お金って一体なんでしょうね。考えてみたら不思議なものです。でも、身近なものだからこそ、このお金というものの「正体」が見極められないと、僕たちはいつまでもこの得体の知れないものに振り回されっぱなしです。
どんなものでも、その「本質」が分かると、対処できるものです。第三章に登場したゴキブリと同じです(笑)。
お金を「つかう」とき
お金の正体を探るために、まずはお金を「つかう」ときのことを考えてみましょう。
僕たちがお金を「つかう」のは、何かを「買う」ときです。この「買う」という動作は、お金と引き替えに何かを「もらう」ことを指します。
もらうものは色々です。食べ物や飲み物であったり、お酒やタバコなどの嗜好品であったり、本やビデオなどの情報媒体であったり、電気やガスなどのエネルギーであったり。
そのほかにも、お金を払って「労働力」をもらうこともありますよね。お家を建ててもらったり、車で運んでもらったり、料理を作ってもらったり、そういうことを「してもらう」ときにも、僕たちはお金を払います。
また、ショーやコンサートにでかけたり、スポーツ観戦をするときも、お金を払います。これも、いい気分になりたくて「なにか素晴らしい能力を持った人」にお金を払ってサービスを受けているのですね。
こういった「モノとの交換」「サービスとの交換」に、僕たちはお金を払う、つまり「買う」という動作を行うわけです。
お金を「もらう」とき
では逆に、お金を「もらう」ときとは、どういうときでしょうか?
僕たちがお金を「もらう」のは、大抵の場合は「労働に対する対価」です。お給料ですね。どんなお仕事にも「報酬」というものがあります。庶民のお金の入手方法はほとんどこの「報酬」によるものです。
報酬やお小遣い以外にも、お金を受け取る機会があります。株や外貨などの投資です。
これは別に何か自分が「働いた」分の報酬ではありませんが、先に「将来生まれる価値」に対してお金を貸すことで、あとでちょっと多めに返してもらっている、という仕組みですよね? 最近は複雑な仕組みも多いですが、基本はそういう考えでいいのかなと思います。このときもらうお金もまた、先に「貸した」という『お仕事に対する報酬』といった側面があると思います。貸してくれたお礼と考えることもできますね。
ほかにも、子供たちは親や保護者に「お小遣い」をもらうことがあります。これは別にお給料ではありませんが、子供たちがお金を上手につかうための訓練でもあります。ですからお小遣いというものは、子供たちが将来的に自分でお金を稼ぐようになる時に備えて、その将来的な「価値」に親が投資している、という見方もできます。
このように、誰かに何かを「提供」して、提供したものの「価値」に合わせて僕たちはお金を「もらう」ことになるわけです。
お金の「正体」とは
これまで見てきたように、お金というものは何か「価値のあるもの」と引き換えに渡したり、もらったりするものです。
「価値」というものは目に見えませんが、人間のアタマが何かに「価値がある」と判断したら、お金が動きます。つまり、
お金は「価値」を可視化したもの
であると言えます。
可視化というのは、見えるようにする、という意味です。銀行がやり取りするお金や電子マネーなんかは、お札やコインなどの現物がありませんが、数値として見られるのでそれらも「可視化」されていると言えますよね。
さて、「目に見えないけれども、確実にあるもの」といえば・・・何か思い出しませんか?
(続く)
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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)