見出し画像

【15日目】カラダのヒミツとモトのヒミツ(ニンゲンのトリセツ)

◆カラダとは「何か」を改めて考えよう

 それでは「三つのパーツ」の最後の一つ「カラダ」についての話をしていきましょう。

 とはいえ……カラダってなんだろう? なんて、改めて考えなくても、今あなたの目の前に実際にあるわけですし、だから「その説明いる?」なんて思われてしまうかもしれません。

 ですが、前回書いたとおり、この「カラダとは何か?」を説明するうちに、このお話全体のテーマである「モト」についてのもっと深い話ができるはずですので、その辺を踏まえて読んでいただければと思います。

 さて、前回まで、僕は「モト」というものについては「ココロの材料にあたるツブツブ(粒子)」だと書いてきました。これはこれで、至極正しい認識です。
 ですが、モトについて初めてお話したときに、こうも書きました。

「モトというのは、いろいろな側面から説明できるもの」

 そうなんです。モトというものは確かにココロの材料に当たるものなんですけど、それだけではないんですね。

 実は……僕たちのカラダというのも、厳密には「モトでできている」んです。

◆モトは「カラダの材料」でもある

 ……なんて書くと、びっくりしてしまうのではないかと思います。今までのお話を読んでいただけたら、確かに僕たちのココロには「モトの集まり」という実態があるかもしれない、と思っていただけているのではないかと思うのですが、さらにその上で、その「ココロ」の材料が、僕たちが実際に見たり触れたりできる「カラダ」の材料でもある、ということを書いているのですからね。

 普段僕たちは「ココロ」を見ることができません。なぜなら、ココロを形作るモトという粒子は小さすぎて目に見えませんし、さらに、現在の科学的手法では観測できないサイズだからです。そういった「ひょっとしたら架空の存在かもしれないもの」、ちょっと難しく言うと「形而上(けいじじょう)学的な存在」かもしれない「ココロ」と、物理的な存在である「カラダ」が、もとをただせば同じ「モト」という粒子でできている、という話なんです。新しい話ですよね?

◆モトから分かる「ココロの『カタチ』」とは

 では話を進めましょう。先ほど「ココロは目に見えない」と書きましたが、もしこれが「目に見える」ものだったら、どんなカタチをしているのでしょうか? 考えてみましょう。

 みなさんは「ココロってどんなカタチ?」と聞かれると、なんだか丸くてコロンとした小さな玉が、胸のあたりに入っているようなイメージを抱くのではないかと思います。もしくは、なんだかハートの形をした小さなものだったり。

 ですが……モトという視点で観察すると、ココロの「おおまなかカタチ」を特定することができます。もちろん、実際に目には見えないのですが、もし見えていたらこんなふうです……ココロというのは、人間のカラダのまわりをモヤモヤとおおっている、煙の膜のような構造をしています。

 難しいし新しい話だと思うので、もう一度書きます。人間のココロというのは、

モトでできた煙のようなものが、人間のカラダのまわりをモヤモヤとおおっているような構造

をしています。

 つまりです。ココロというのは、カラダのどこかにコロンと入っているようなものではないんです。カラダよりずっとずっと大きくて、体のまわりをおおっているんです。
 おおっているのは、もちろん「薄いモトの集まり」です。ココロはモトでできているんでしたよね? 実際には、このような形でモトがココロを作っています。

 そして……この「モトの集まり」の中でも、一番濃い中央部分、そこにギュウギュウに集まっている「モトのカタマリ」こそが、僕たちのカラダなんです。だから、僕たちのカラダはモトでできている、ということが考えられるわけです。

◆目に見えている「カラダ」の本当の姿とは

 考えられるわけです、と言われても、んなアホな! という話ですよね……そりゃそうです。人間のカラダというものは、主に水とタンパク質でできたカタマリですからね。その「水とタンパク質の集まり」が、モトの集まりだと言われているわけですから、にわかには信じられない話だと思うんです。矛盾してますもんね。

 ……ですが、実はこれは「矛盾していない」んです。確かにカラダというものは、水とタンパク質でできています。ですが、モトでできているものでもあるんです。なぜなら……

モトというのは『素粒子』だからなんです。


次の話→
←前の話

いいなと思ったら応援しよう!

日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)