明日から産休。なかなかハードモードだった「コロナ禍の高齢妊娠」
前の投稿からかなりの時間が経ってしまいました。その間、ありました。人生の大きな出来事が。
実は現在第二子を妊娠していて、妊娠後期、9か月目。4月後半に無痛分娩で計画出産を予定しています。来月には出産なんて信じられない!
明日(4月1日)から産休をいただきます。
今回は、ここ数か月で起こった自身の体験と心境の変化を、産休前に残しておきたいと思い、筆をとりました。
「二人目どうする?」問題からの、まさかの妊娠発覚、そしてあっという間に入院
ママパパあるあるかもですが、「二人目どうする?」なんて言われたくなくても言われ、考えたくなくても考えざるを得ない瞬間に遭遇する人は多いのではないでしょうか。何を隠そう、私もその1人でした。
「二人目どうする?」問題に差し掛かった時、いつも思う事は「娘も4歳になり、あまり手がかからなくなったけど、二人目…。また”あの辛い地獄のような妊娠生活”を体験するのか…ちょっとそれは…恐怖だ。」ということ。こればっかりは自分が決めるというよりは、神様からのプレゼントなので「40歳までに自然に授かれたら産もう。もし授かれなくてもOK」と心の中で決めていました。
そんな事をなんとなーく心の中で決めた翌週に赤ちゃんの夢を見ました。
性別は男の子。キラキラピカピカに光っていて生まれたてで、泣いてました。赤ちゃんの夢なんて見たのは初めて。「はー不思議なこともあるものね!」と思っていたら…なんとその翌週に妊娠発覚。まさか、こんなに早く現実のものとなるなんて、心の準備が…。嬉しい反面、「どうしようどうしようどうしよう…」という気持ちで心の中はぐちゃぐちゃでした。
実はわたし、悪阻がとてもひどいタイプ。第一子妊娠のときに妊婦の数パーセントしかならないと言われている「妊娠悪阻」で入院&1か月半ほど会社を休職した経験があります。この「妊娠悪阻」というワード、初めて聞く人もいるかもしれませんので簡単に説明すると、食べれない&飲めない&気持ち悪いが、妊娠20週くらいまで続きます。毎日…です。二日酔いなのに無理やり山道を車で走っているような感じが24時間続く…と言ったら想像してもらえるでしょうか…。体重の5%または3キロ減ると共に尿からケトン体が検出される場合、妊娠悪阻と診断されます。しかも、なぜそうなるのか、今の医学でも原因不明。治療法はほぼありません。耐えるのみ、です。本当に地獄です。
周りから「二人目は悪阻軽いかもよ~!」なんて言われて、今回はもしかしたら!と淡い期待をしていましたが、すぐに裏切られ…妊娠発覚からすぐ(妊娠5週目)に「妊娠悪阻」の症状が出始めました。
日に日に食べれなくなり、飲めなくなり(水さえもNG)…。嗅覚が犬並みになり、トイレ、シンク、お風呂の匂い、食べ物の匂いなどありとあらゆる匂いを受け付けない。スマホ&パソコンの光もNG、風邪がそよそよ吹くのも気持ち悪い…。吐くものがないはずなのに、気持ち悪さから吐き続け…。落ちていく体重と気持ち悪さから寝不足&精神不安定に。
「これはヤバイやつだ…」と前回の妊娠悪阻の経験から、即病院に連絡。「妊娠悪阻には二度となるまい!」と通院し(これもフラフラになりながらタクシーで通うのが精一杯)、毎日点滴を打ってもらっていましたが、それでも日々重度化していく症状。妊娠6週目ついに、すべての排泄がストップしてしまいました。(暗く汚い話ですみません…)
「これは入院した方がいいかもしれない」とかかりつけの先生に近くの総合病院の紹介状を書いてもらい、診察。診断結果は「妊娠悪阻(ケトン3+)」で即入院。診察してもらっている時もフラフラで、その場で倒れ、吐く始末。そのまま車椅子で病室へ連れて行ってもらいました。
そこから3週間入院&24時間点滴。しかも、水分が体の中にないもんだから、点滴の針がなかなか通らない。通ったとしても、血管がボロボロのため、上手く点滴が流れず、すぐに刺し直し…。
その間、24時間襲ってくる気持ち悪さと吐き気、そして点滴の痛さ。
気持ち悪さのため、化粧はもちろん、歯磨きや入浴することさえもままならず。かつコロナ禍ということもあり、面会も限られ(子どもNG)ていることでの孤独感。そして、仕事がしたくでもできない、迷惑をかけているという絶望感。
お腹の子は大丈夫なの?
娘は大丈夫?ちゃんとご飯食べてる?
大事な仕事があったのに、また離脱だ…。
わたし、人として大丈夫?
いつまでこの状況は続くの?
と普段ポジティブなわたしも、さすがにこれが数週間続き、出口の見えない状況にメンタルをやられ、病室で周りの人に気付かれないようにメソメソ泣いていました。
3週間が経過し、まだ全然気持ち悪く食べられない症状でしたが、少しずつ水分がとれてきているということで、退院許可がおりました。
3週間ぶりに会う娘。
きっと走ってきて飛びついてくるかな…と久しぶりの再会を想像し涙ぐんでいたのですが、娘はそーっとそーっと「ママ?ママ??」と言いながら私に近寄ってきてそーっと私の肩にもたれかかり「ママだ…ママー!」とニコニコしていました。
なんせ生まれてから3週間も会えなかったのは今回か初めて。きっとこの人は本当にママなのか?と不安に思わせてしまっていたのだと気が付きました。「寂しい思いをさせてしまっていて本当にごめんね」と自然に涙が出てきたのを覚えています。私が不在の中、娘もパートナーもじいじばあばも、嫌な顔一つせずに、ワンチームで支えてくれました。本当に感謝しかありません。
「キラキラマタニティライフ」は幻想なの?
妊娠悪阻がなんとか治まった後も、キラキラマタニティライフ!なんていうものは私には訪れず。二人妊娠して思うのは「キラキラマタニティライフ」には全くご縁がないようだ、ということ。きっとこの先も訪れることはないと覚悟を決めています。時には諦めも肝心です。今回、高齢出産(現在37歳)ということもあり、1人目と違って、妊娠悪阻、風疹抗体ほぼなし、切迫早産(疑惑)、妊娠糖尿病(疑惑)、後期悪阻、逆子に加え、背中・恥骨痛、寝不足、動悸息切れ、貧血、便秘、などのマイナートラブルも…。
ここ数か月、体調どんな感じだったかなーと振り返ってみると
2020.9 ひたすら気持ち悪い 37.5~37.8の微熱
2020.10 ひたすら気持ち悪い 入院&休職 37.5~37.8の微熱
2020.11 ひたすら気持ち悪い 休職 37.5~37.8の微熱
2020.12 ひたすら気持ち悪い&恥骨と背中が痛い 仕事復帰
2021.1 恥骨と背中が痛い
2021.2 動悸&貧血で苦しい 切迫早産&妊娠糖尿病疑惑
2021.3 動悸&貧血で苦しい 逆子 後期悪阻
ああ、見ているだけで滅入ります。普段、元気印100%タイプなので、これだけ長期間にわたり、体調不良が続くだけでも相当なストレスです。
しかも、コロナ禍で検診同行、親子学級、立ち合い出産禁止。入院もひとり、出産もひとり、退院もひとり(病棟前までは可)。入院前にPCR検査をし、万が一コロナの疑いがあれば専門病院へ即転院、だそうです。
今回、もうこれ以上妊娠出産で辛い思いはしたくない、と都内で24時間無痛分娩できる病院を探し、予約を入れています。そこで出産すると決めてます!今はお腹が大きくなってきていて、心臓や肺への圧迫から動悸息切れが物凄い。これでコロナになったら…と思うとぞっとしています。絶対コロナにかかりたくない…。
コロナ禍の妊娠出産、本当に大変です。これからの妊娠を考えている方、現在妊娠中の方、ストレスを抱え込まず、周りに頼って、自分を甘やかしてきましょう!妊娠出産も緊急事態なのに、今はプラスでコロナ緊急事態。自分が気持ちいいことをして、穏やかに日々を過ごしましょう!そして周りに現在妊娠出産を控えている人がいる人へ。ぜひとも優しく労わってあげてください。
明日から産休。大好きな仕事&尊敬する仲間と離れるのはやっぱり寂しい
そんなバタバタな妊娠生活ですが、明日からいよいよ産休。1人目は有休も合わせて2か月前から産休をもらっていたので、今回出産1か月前、ギリギリまで働くという未知なる世界を体験してみました。臨月前まで働くことは、体力的に結構キツイであろうことは想像してました。でもこの選択には理由があって。
妊娠悪阻で入院しなければならなくなってしまった時(今年の10月~11月)、とても大事なプロジェクトを任せてもらっていました。会社にとっても新しい取り組みで必ず成功させなくてはならないと使命感に燃えていました。そんな時にわかった妊娠。しかも私の場合は即体調に出てしまった。あれよあれよという間に仕事はもちろん、自分そしてお腹の子の生命まで維持するのが難しい状態に。会社、上司、そしてチームメンバーには本当に迷惑をかけてしまったことがずっとずっと心残りでした。妊娠中とはいえ、仕事は仕事です。嬉しいはずの妊娠なのに、不甲斐ない、悔しい。こんなはずではなかったのに…とどうにもならない状況にしばらく打ちひしがれていました。
そして、12月に復帰。「Wedding Park 2100」という会社としても広報宣伝チームとして大きなプロジェクトメンバーにアサインいただきました。
会社の仲間は「お帰りなさい!瀬川さんが戻ってきてくれて本当に良かった!体調無理せず!」と、みんなが歓迎してくれました。
この一言にどれだけ救われたことか。
12月~産休に入る約4か月間、全力で駆け抜けようと、絶対に結果を残そうと心に決めての復職でした。ただ、何が起こるのかわからないのが妊娠。幸い在宅ワークが中心なので「これはまずそうだ」と感じたら横になって、調子がいい時は一気に仕事に集中するようにしていました。私が所属するウエディングパークの広報宣伝は個人ではなく、チームで動くことが多いため、万が一のことが起こった場合でもチームで乗り越えられる環境であるのが本当にありがたかったです。
そして、チームみんなで乗り越え成功できた「Wedding Park 2100」。
妊娠途中に様々なトラブルに見舞われましたが、出産予定1か月前まで働き続けられたのは、他でもない会社と上司、チームメンバーの理解と温かいサポートのおかげです。辛い時に辛いと言えて、安心して仕事を任し任せてもらえる信頼があることの大切さを身にしみて感じています。
今後、もし誰かが何かしらの理由で100%の力で働けなくなった時は、次は私が支える番だと心に決めています。
2017年5月に第一子の育休から復職して、約4年。CMをつくったり、オウンドメディアを立ち上げたり、イラストプロモーションをしたり、イベントをやったり、書籍をつくったり、YouTube番組をつくったり、業界の皆さんに取材させてもらったり、オンラインセミナーをしたり…子育てしながらも、いい意味で容赦なく(笑)様々なことにチャレンジさせてもらいました。どれも心に残る大切なお仕事ばかりです。仕事を通じて、出会った皆さんそして、一緒に成長できた広報宣伝チームの皆さんには心からお礼を伝えたいです。一緒に働いてくれてありがとう。仕事の楽しさを教えてくれてありがとう。また一緒に楽しく幸せに仕事ができる日を楽しみに、元気な赤ちゃんを出産してきます。また会えるその日まで。ああ、寂しい!!