色を塗らない理由
小学校の頃、歯磨きカレンダーという提出物があった。一日何回歯磨きをしたかを、色鉛筆を使って回数ごとに色分けする。そのカレンダーを毎月提出し、先生からコメントをもらう。それが一連の流れだ。
私は3月に12ヶ月分まとめて提出する子どもだった。毎日きちんと歯磨きをしていたが、記録することにはまったく興味が湧かなかった。昼と夜に一回ずつという決まりきった生活で、回数に変化はなかった。
カレンダーに色を塗るという退屈な作業は、私にとってただ色鉛筆を消耗させるだけの義務に過ぎなかった。そんな提出物に意義を見出せるはずもなく、「あとでやればいいや」と放置することが常だった。
それでも歯磨きそのものは欠かさなかったので、当時は表彰されるほど歯の状態が良かった。今ではその面影もないが、幼い頃の自分が周りに誇れるところだ。
カレンダーを提出しないまま数ヶ月が過ぎると、先生から時折催促される。それでも私は気が進まなかった。「やらなければ」と思いつつも、どうしても他にやりたいことがあった。それは、ゲームだ。
ゲームは全てが刺激的だった。世界を冒険し、敵と戦い、次々と明かされる謎に心を奪われた。私にとってゲームは、思考と感覚を満たしてくれる存在だった。それに比べて、歯磨きカレンダーの記録は、何の変化もない、ただの作業に過ぎなかった。
今になって思うと、歯磨きカレンダーには「自分の健康を管理する習慣」を身につけさせる意図があったのかもしれない。しかしステータス管理はゲームで十分培われていた。
結局、3月に慌てて色鉛筆を手に取り、12ヶ月分をまとめて埋めた。その集中力もまた、地道な作業が必要なゲームのスキルとして、当時の私に還元されていった。