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俳人種田山頭火の句碑を巡る(山口県編)
2024年5月、種田山頭火の生まれ育った山口県へ旅をしてきました。
街なかで見かけた句碑をスマホのカメラにおさめ(いったい何が書いてあるのか分からない句碑もありましたので)後日、句を朗読した動画を作成しました。
山口県防府市(防府駅周辺)
山口県防府駅に到着するとさっそく山頭火の像がお出迎えしてくれます。
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托鉢姿でふるさと防府の地に自由律俳人・種田山頭火が静かに立っています。
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”ふるさとの水をのみ水をあび”
と伊予青石(愛媛県産の緑泥片岩)に山頭火の自筆で句が彫られていました。
建立日:1985年
建立者:防府中央ライオンズクラブ
山頭火生家跡
防府駅より10分ほど歩くと、山頭火の生家跡に到着します。
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当時の種田家はとても裕福で、この家から先ほどの防府駅まで、他人の土地を踏むことなくたどり着けた、といわれてるほどの大地主だったようです。すごい。
ここには山頭火の句がたくさん展示されていたのですが、真ん中にある大きな句碑が印象的でした。
朗読した動画はこちら↓
”うまれた家はあとかたもないほうたる”
裕福だった人生から一転、数多くの不幸が訪れ、故郷を離れた山頭火の、やるせなく寂しい思いを感じるような句です。
揮毫は山頭火研究会(山頭火ふるさと会)初代会長の富永鳩山先生によるもの。
建立者:防府ゴールデンライオンズクラブ
戎ヶ森(えびすがもり)公園
防府駅から生家の間にも、いくつかの句碑や看板があるのですが、戎ヶ森公園の中にあった句碑を朗読しました。
↓
”雨ふる故里ははだしで歩く”
揮毫者は俳人で山頭火の17才年下の親友(と言ってもいいですよね?)の大山澄太さん。1954年(山頭火没後14年後)に友人達で建立された安山岩の句碑です。
山頭火の生家付近には、山頭火が小学校まで通った道が「山頭火の小径」として残っています。
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![](https://assets.st-note.com/img/1729754494-EQ6Iyn7fUOusBAH0SMic3DYj.jpg?width=1200)
護国寺(山頭火墓所)
山頭火の生家よりさらに徒歩10分ほどで、山頭火のお墓のある護国寺に着きます。
近くのコンビニで地元のお酒を買ってお参りさせていただきました。
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![](https://assets.st-note.com/img/1729754809-watF09WArSV5pQj7Z1Bymfue.jpg?width=1200)
山頭火の好きだった井月の句集をポケットから出して、迷惑にならないように、しばし墓前で静かに朗読したりしました。
(お供えしたお酒は持って帰って美味しく頂きました)(激ウマでした)
境内には他にもたくさんの句碑があり、たまたまいらっしゃったご住職にご挨拶をして、境内の句碑をゆっくり見させてもらいました。
朗読したのはこちらの句碑
↓
”落葉ふる奥ふかく御仏を観る”
出典の其中日記の中には上機嫌の山頭火の姿がありました。
十一月三日
天地玲瓏として身心清明、菊花節。
ほんとうによいたよりがあつた、同時にそれは恥づかしい(受取人の私には)たよりでもあつた。
句集を寄贈発送する、ほがらか/\。
樹明君来庵、ひさしぶりに飲んだ、酔うて歩いた、歩いてまた飲んだ、別れてから少ワヤ、おそくかへつてきてお茶漬をたべる、独身者は気軽でもあればみじめでもある。
葉が落ちる、柿、枇杷、棗。――
・秋はほがらかな日かげ、もう郵便がくるころ
・みほとけはひとすぢのお線香まつすぐ
・落葉ふる奥ふかくみほとけを見る
山頭火ふるさと館
山頭火生家跡に戻り、さらに10分ほど歩くと、山頭火ふるさと館が見えてきます。
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入口の道路脇に山頭火の句碑がありました。
朗読はこちら
↓
”日の落ちる方へ水のながれる方へふるさとをあゆむ”
山頭火が故里の故里と言った宮市の防府天満宮の天神祭の時の句です。
其中日記(七)には他の句もあり、なつかしい故郷で癒やされていたようです。
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・あひびきまでは時間があるコリントゲーム
・お祭の人ごみをぬけて枯草山
・おまつりの桜紅葉のしづけさはある
・桜紅葉の残つた葉の赤さ
・落ちる陽をうかべて水のながれゆく
・枯草へながう影ひいてふるさとの
・濁酒あほることもふるさとはおまつり
コリントゲームってピンボールのように穴の空いた台に玉を落として遊ぶゲームのようですね。ん?あひびき?あいびき?
他にも防府の街なかににはたくさんの句碑がありました。
朗読
↓
ちょっと長くなってしまったので、今回はここまでにします!
次は山頭火が昭和7年~13年までを過ごした小郡の「其中庵」、お気に入りだった湯田温泉を巡ります!
お読みいただきありがとうございました!
●其中庵〜湯田温泉編はこちら