ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話⑦(完)
キャンプサイトを少し下って平地に出ると、遠くに黒っぽい塊が見えた。
少し近づいてみると、大きなうんこのようだった。かなり大きかったので僕は「ゾウのうんこだ!」と確信した。
うれしくて走って近づく(うれしくて、うんこに駆け寄ったのは後にも先にもこの時だけだ)。
立派なうんこだった。そのうんこは堂々としていて、ただそこにあった。
僕はうんこの前に立って一言
「しんどいっすわ…。」
とつぶやいた。
特別深い感慨のようなものがあったわけではない。でも、本当にサバンナのゾウのうんこに会えた、ということがうれしかった。
そして、なぜかうんこに敬語をつかっている自分が可笑しくて、ふっと笑ってしまった。
そして笑った後に、もうすっかりしんどい気持ちが消えていたことに気づいた。
そのあと、みんなと一緒に朝食を食べ、テントサイトを出発した。
出発前にさっきのうんこのところにもう一度行った。
一応確認を、と思い、ドライバーのおじさんに
「これ、ゾウのうんこだよね?」と聞いてみた。
「何言ってんだ、これはヌーのだよ。」
結局そのあとも、ゾウのうんこに出会うことができないまま、僕の旅は終わった。
サファリドライブ中、うんこを見つけるたび
「これは?これはゾウのうんこ!?」
とドライバーに聞いたけど、全部ヌーのうんこだった。
それだけが少し心残りではある。
でも、本当に本当に、最高の旅だった。
「サバンナの ゾウのうんこよ 聞いてくれ だるいせつない こわいさみしい」
僕が大好きな歌人、穂村弘さんの歌だ。
あの頃の僕にはこの気持ちが痛いほどよくわかった。なんとなくの将来への不安とか、何かに一生懸命になれない自分への自己嫌悪とか、ずーんと大きな黒いモヤモヤに支配されていた。
でも、だれかに励ましてもらったり、解決してもらいたいわけでもなかった。
強いて言えば、サバンナのゾウのうんこぐらい自分に関係なくて、自由な「何か」に、話を聞いてもらいたかった。
ゾウのうんこじゃなくてヌーのうんこだったからか、チャクラがポンッと開いて僕の人生がすっかり変わっちゃう、というようなことはなかった。
帰ってきたら日常が待っていたし、すぐに何かを始めるような行動力や度胸がついたわけでもなかった。
でも、そんな日常のなかでふと、タンザニアで出会った人や風景を思い出すことがあった。
ココのたくましさ
ジャッキー・チェンのよくわからない冗談
ハイエナの遠吠え
平気で逆走する車
タンザニアのごちゃごちゃしてパワーがある街並み
嘘みたいに綺麗なサバンナの日の出
ヌーのうんこ
そして、それをふと思い出すと、心も体も前より少し、自由に動かせるような気がした。
タンザニアの旅から2年。僕は5年間勤めた会社を、辞めることにした。
退職願は受け取られてしまった。もう後戻りはできない。
返金不可のタンザニア行きのチケットを買ってしまったあのときと、同じ気持ちだ。
今度は本当にやってみたいことに、飛び込んでみようと思う。
うまくいくかどうかは、わからない。
うまくいくかどうかなんて、どうでもいいとも思う。
今は、この選択ができたことをうれしく思うし、この選択ができた自分のことを、もっと好きになれる予感がしている。
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