雨の朝、武田地球
詩人という呼称では呼びたくないけれども、おすすめの詩人を教えてと訊かれれば、武田地球を挙げる。知る人ぞ知る武田地球はネット詩出身で今年詩集本を出している。ちなみに、武田地球作品に時々登場する「みうらくん」とは、、ご想像に任せる。
最果タヒさんが文学極道で投稿されていたことをネット詩出身者と呼んではいけないように思うけれど、まあ、そういう誤解をかなり生んでしまう空間だった。
雨が降る朝にこれを書きながら、思い出した。武田地球の詩集本「大阪のミャンマー」がどうしても読みたいと願う貧乏な若者へ手元にあった「大阪のミャンマー」を私は購入して間も無くプレゼントした。そのことを思い出した。その貧乏な若者は詩がそんなに好きな人間ではない。そう、武田地球が書く詩は詩の愛好家だけでなく詩に馴染みがない人々にも伝わりやすい。伝わりやすいというのは「伝わる」のとは少し違うくて、読後感が、なんというか、言葉が頭に残るのではなくて、立ち上がったイマジネーションだけを残して言葉が消える。
「読解」というのがある。ネット詩に身を置いていた時期、読解の達人達とも多くの出会いがあった。達人たちが示す批評にハッとさせられることが幾度もあった。しかし、いつも違和感が消えなかった。なんとなく、読解が中学生時代にあった国語の時間を思い出させた。
漫画家の岡崎京子さんが昔、「音楽のような漫画を描きたい」と示されたことがあったけれども、私は武田地球の詩を音楽のように読みたいし、読んでいる。イマジネーションに浸っていたい。言葉や言語の組み立て方の成分分析では明かせない際限無き幸福感(死語)を自分だけの宝物として読んで味わいたいし、そのイマジネーションは他者に示すことがとても困難だ。なので、「大阪のミャンマー」を詳しくは紹介しないし、解説なんて、私にはできないや。
大阪のミャンマーで検索すればすぐにヒットします。
あー、チェルノブイリにチェという作品を歌にしたのがあります。少してきとうに作りすぎてテキストを歌詞にした時、一部間違えた。
笑ってね。
そうそう、私もまた「大阪のミャンマー」をまたポチらなきゃ。
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