人を大切にするって、お金じゃないんだな
父親がどっぷりと愛情を注いだら、夜職だとか悪い男にハマったりしたりしないというツイートを見ました。それに対して、賛否両論あって、お金をかけてもらったけどそういう道に進んだよという返信も多くあって、思うところがあったので書き残しておこうと思います。
そういう「お金はたくさん使ったけど世間的に褒められる訳じゃないことしました」系の女性の返信には、いくつもの「お金を使うことが大切にすることとイコールじゃないよ」という趣旨のコメントがありました。私もこれには大いに賛成で、愛着を育み自己効力感を育てるために、金銭の多さは必ずしも比例した効果をもたらさないと思います。
要は、お金持ちの親がなんでも買い与え、甘やかすことは、大切にすることとは意味が違いますよねということ。結局はどれだけ自分が存在することを認めてもらえたか、何かを持っている存在・役に立つ存在ではなくても大切だと伝えてもらってきたかが一つの指標になりうるんじゃないでしょうか。
ちなみに、お金を使うことを大切にされていることだと思って育ってきた人が、夜の仕事につくのは非常に納得感があります。貢いでくれた人にサービスするし、もし自分に推しのホストなんかができたらお金を使って愛を示す。お金で愛情が測れる世界なら、どれほど単純明快かと思うのです。ひとの愛情の指標がお金なら、世の中の恋愛や家族がこんなに複雑なわけがありません。
私の父は、誰の目にも明らかなほど家族を大切にしています。家族と常に一緒に過ごしたがるし、家族がいるといつもにこにこだし、母のことをめっちゃ大事にしています。一通りの家事はできるし、休日は父が起きて母が昼過ぎまで寝ているのは当たり前なんだと子供の頃まで思っていました。
父は私が小学生くらいまでとにかく厳しくてたくさん泣いたけれど(母いわく、顔馴染みのお隣さんに虐待を疑われたこともあるそうです。私にとっては昔の父の記憶は怖くてあんまり家にいない人というものでした)、それを父という大人の欠点だと冷静に思えるほど、私は根本的に家族に愛されている実感がありました。つまりは、それを自分の欠損だと強く落ち込まないくらいに、私は幸せになる気がして生きてこられました。
だから私は、私のことを大好きで大切にしてくれない人には全然興味が湧かないんです。キレ症じゃない父みたいな人が私の理想の男性で、今の恋人もどこか似ていると思います(そして怒りっぽくない!)。私は自分のことを好きじゃない人を追いかけ回したい願望もないので、基本的に大切にされていないなと傷つくことは、実は今まであんまりないんです。
あ、こいつ、自分のこと優先で私のことなんてどうでもいいんだなって思ったら、がっつりタイプな男性もすぐに切れたし。自分が心地よくなければ、距離を置けます。自分のことが大好きだし、素敵な私は愛されて当たり前だと思えるので、どうでもいい男性に時間を取られるのがもったいないって思えるのです。
それは、私がお金を持っているとか、顔が芸能人みたいとか、スタイルがめっちゃいいとか、そんなこととは関係ないんですよね。愛情の与え方も受け取り方も知っていて、目の前の人を素直に信じられて、自分のことも信じられる。相手と対等な関係を築く方法を知っている。そういう自分と他者を信じる力を、家族に養ってもらったのだと思います。
私が幸せを信じられるのも、家族の愛情のおかげだと強く思っています。そんなわけで、ひとの愛情も自己効力感もお金で買えるものじゃないと、忘れないでいたいものです。