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自我を持て余した大学時代ぶりの歌舞伎町ラーメン竹虎

7年ぶりに新宿歌舞伎町の竹虎というラーメン屋に行ってきた。大学生だったあの頃、多分一年生か二年生で、バレーボールサークルの飲み会の後だった。ほとんど朝になってから行ったのだったか、誘ってもらったのか、なんとなく飲み会の生き残りだけでついて行ったのか。わからなかったけど、私には貴重な機会だった。

周りにうまく馴染めない証拠に、私は友達とラーメン屋さんに行ったことがなかった。おそらく私が大学生活で食べた、唯一のラーメンだったかもしれない。ラーメンに対して思い入れも思い出もなかった私の、唯一記憶がある店だったのだ。

新宿で軽く昼を済ませようとなったある週末、最初に出てきた候補がラーメンだった。別にラーメンが特別好きなわけではないけれど、同居人はとても好き。その影響でなんだかんだ味を覚えて、最近は時々麺を啜りに行くようになっていた。そんなこんなで候補に上がったのが竹虎で、私はあまりに久々だったので少しだけ思い出に動揺していた。

竹虎のラーメンの味を覚えているかというと、正直なところ別に覚えていなかった。受付のような場所にあった緑と、そこに差し込む陽の光だけが鮮明だった。そこで食べたラーメンは美味しかったような気がするけれど、それも昔の記憶で、当然のように薄れているのだった。

けれども、行ってみるとゆっくりと記憶がチューニングされて行った。場所は新宿本店。前に来たのとは少し違う。カウンターの席に座っているのはみんな男性で、なんとなく間違ってしまったのかなと思った。けれども案内されたのは奥の個室で、それが竹虎の特徴なのだと同居人はいう。あの飲み会明けの朝、私たちは個室でラーメンを食べたんだっけ。そこにはサークルの誰がいたのだっけ。赤い壁と顔の怖い虎には、なんとなく見覚えのあるような気がする。

居酒屋のようなメニューの中から、あごだし醤油ラーメンを頼む。出てきたのは透明なスープと細麺で、私が好きなラーメンだった。海苔のトッピングも美味しくて、でも学生の頃にはこんなことをしなかっただろうなと思う。チャーシューも分厚すぎず、少しばかり昨日の酔いの残った体にも沁みた。今日は、歌舞伎町のラーメン屋に乗り込むにはぴったりのコンディションだった。

ここ最近、彼の影響でラーメンが好きだ。けれどもあの時、私はどういう気持ちでラーメンを食べたのだろう。特段打ち解けていたわけではない同期と、どんな会話を交わしたのだっけ。当時、本当はもっと仲良くしたいのに、自分の経験不足をうまくコントロールできなかった私は、自我ばかり膨らませた扱いにくい女子だった。そんな私を、彼らは持て余してはいなかったか。

その時の記憶は、ほんのりと今でも苦い。その割に細かい記憶は残っていなくて、私はなにか自分が失敗したのかもしれないなあという気持ちだけがしている。記憶を塗り替えるように食べた醤油ラーメンは、美味しかった。けれども歌舞伎町の臭いゴジラ前とか、観光客に揉まれる繁華街とか、有象無象のすべてに思い起こされる記憶が多すぎて、私はもう歌舞伎町でばかみたいに飲むことはないかもしれないと思う。それでいい。それでいいんだな、となんだか静かに、年をとった気がする。

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