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君を好きだと思った。熱いシャワーの中で泣いた。

好きだと思ったその瞬間、私はもう泣いていました。

こうなることが分かっていたかのような、熱いシャワーの中でした。


好きでも、どうしようもない。そうやって今まで予防線を張っていたのは自分だと気づいてしまいました。相手を傷つけるかも知れないからとか、今はそんなタイミングではないからとか、随分と真剣な恋愛をしない理由をつけることがうまくなっていました。

二人でいてもどこか寂しかったのは、私が最後を意識してしまったからかもしれません。都合がいいのは私だけじゃなくって、私にとっても都合がいい相手だからと言い聞かせていました。実際にそういう部分もあったし、そうしないと私は自分が沼に入ることを知っていたからです。好きだと思った瞬間に、失恋するようなものでした。


でも、そんなものは脆い言い訳でした。どうしようもないもやもやが消えてくれない日々が過ぎ、ついに好きだからこんなにも考えてしまうのだと自分のこころが認めた時、涙が出てきて止まらなくなりました。

熱いシャワーに打たれながら、いつしかだらだらと気持ちを垂れ流すように泣いていました。ぜんぜんかわいくない、赤く腫れた顔でうずくまる私がそこにはいました。

こんなふうに人を想って泣いたのはいつぶりだったでしょうか。自分ではない誰かでいっぱいいっぱいになる時間。好きが大きくなればなるほど、相手へ届かない部分と自分の無力さの輪郭が浮かび上がるのです。

ただぬくもりを感じる幸福だけでは、社会は許してくれないの。私を救ってくれるものは、私が誰かの幸せを心から願える刹那にしかないのに。


気持ちを伝えることをためらうような状況でもありませんでした。だって私はもともと失恋しているようなものだったから。彼の答えは始めから示されていたから。だったら本当に最後になる前に、もう一度あなたの幸せを願ってもいいですか。

こんな時、不器用な私は正面から幸せになってねと伝える方法しか知りません。誰かに他の方法を教わらなかったのかというくらい、好きもバイバイも本当に傷つく前にぶつけてしまうことしかできなくなってしまうのです。幸せとか愛とか、そんな大人になるうちにみんなが理想を削ぎ落としていくはずのそのかけらを、いっぱいに拾いこんでしまいます。私はぱんぱんに膨れた袋を抱えて、いつも壊れそうな愛情と一緒にみんなの後ろ姿を追っていくことしかできないんです。


ああ、私は君のことがやっぱり好きなのか。

どうでもいいってふりをして、もう隠せなくなってしまったのか。

気づきたくなかったな。傷つきたくないのにな。

それでも、自分の抱えた愛おしさを緩める方法がわからないままです。



最初に涙が溢れてきた時、どこかに安心している自分もいました。悲しいと思ってもいいんだと、切なかったと認めていいんだと、蓋をしていた気持ちをいたわることができたんです。このまま、無いようにされてもやもやだけが募っていったら、きっとシャワーの中で泣くよりもっと辛かったんだと思います。

どうしていつも、上手くいかない恋ばかりしてしまうんだろう。好きな人に好きな人がいるとか、私にパートナーが居るとか、そういう不貞でだめになるんじゃありません。いつだって壁を壊してほしいと願えない、お互いの孤独で精一杯の時に出会ってしまうから。自分が傷つくのが怖いから言い訳して、予防線ばかり張ってなかったことにしようとしてしまうんです。

君には僕よりもっといい人がいる。

人生で何度、そう言われるのでしょうか。そもそも見合う恋なんてあるんでしょうか。

結局は私を特別だとは思えないという上辺だけの言い訳なんだろうと、そう切り捨てられたらどんなに楽だったでしょう。そう言われた私より、言葉に出した相手の方が瞳の奥に傷ついたように影を落としていました。そんなことに気づいたりしなければ、どんなに可愛そうな自分に浸ることができたでしょうか。

私の存在が、大切な人の傷口をえぐるのだと知った時、好きだと言う気持ちの残酷さが心に重しをのせます。好きなんだ。そう思っても、一緒にいても、切なさが楽しさを超えてしまうんです。


だめだな、君のことがどうしても好きなんだな。

好きだというその気持ちだけの涙は、透き通るように透明で。

いつかは私の恋心も熱く溶かして、どこかにちいさな花でも咲かせてくれたらいいのにな。


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mayu
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