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日記

母と喧嘩し、しばらく話をしていなかった。

そのことについては後日また書く。

和解?までに考えていた事。

ダウン症の兄と私を比べて(比べる必要ないとか、そういう正論は受け付けません笑)。

すごく悪い味方をすると、兄は「障害があっても愛された子」。私は羊水検査までされて「健康」が愛されるための条件のような子。

もっというと、健康なのに「寂しかった子」かつ大人になって持病(てんかん)を抱えても心配してもらえない子。

心配してほしかったのだと気づいた。いまだに母は私の心配をしてないけど、「心配しない」はイコール、「信頼している」ということかもしれないと考え着いた。腑に落ちたかは別として。一つの考えとして浮かんだ。


で、ものは考えようなので、兄は「障害があっても愛された子」私は「健康だけど寂しい思いをしてきた子」を超絶ポジティブに考え直すとどうなるか?

考えようと思う。

今は浮かばない。

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