夏が苦手なのは、いつか全て終わってしまうことを受け入れたくないからかもしれない。
駅。帰省先の実家から、自分の生活に戻る日。
いつもなら、帰りの新幹線で寂しさでひとりさめざめと泣いている。やがて着く頃には感情も静まって、月に帰ったかぐや姫みたい、と大層に称しながら何事もなかったように日常へと戻っていく。
それなのに、今日はいつもより寂しくなくて、なんなら実家に帰った当日に、これから会えなくなるかもしれない人がいて寂しい、と親の前で泣いた。
いつもと何もかもが正反対で、それが不思議だった。
親は、頑張りなさい、気をつけてねといつものように私を見送り、ホーム越しの車の中からいつまでも手を振っていた。
私たちは いつものように、を繰り返して、そうして少しずつ変わっていく。
半年ぶりの親は、記憶の中よりもどうしても少し老けていて、健康に気を使っているのだと熱く語った。
いつまでも、と願うのは、いつまでも変わらないなんてことがないと分かっているから。
そうやって時が流れていく。私は家を出て、遠くの大学に行くことを選んだし、その道を自分の足で歩いていかなければならない。
私は私にしかなれないと思っていたが、
時が経つというのは、その前提すら、じわじわと消えていくことなのかもしれない。
いつか、私が私ではなくなったとき、
ここにいるよと伝えられるなら、私は私に帰ることができるのかもしれないな、とぼんやりと思った。