今日を、生きる。
みなさん、こんにちは!
今日はちょっとだけ朝から読むには重たい話なのかもしれませんが
昨日はちょっと笑える記事だったので今日は少しだけ真面目に笑
でも柔らかく、わかりやすく、みなさんにとって知っていてほしいことをお届けします!
それは安楽死について。
もちろん日本では認められていません。
でも海外では認められている国もあり、そして海外からの受け入れも可能にしている国もあります。
それはスイスです。
厳密に言うと、スイスは医師による自殺幇助を色々な厳しい審査の上許可しているということなんですが、興味深い記事を読んだのでシェアしようと思います!
実際に安楽死を受けに行った人についていった
ジャーナリストの宮下洋一さんはスイスの自殺幇助団体の「ライフサークル」の協力を得て、数々の外国人が「自死」する場面を取材した。その中の1人、イギリス人のサンドラ・エイバンスさん(当時68歳)を今回取り上げました。
中枢神経障害を侵す「多発性硬化症」と言う難病を患い、断続的に続く激痛に生きる希望を失い、2016年にスイスに渡りました。
サンドラさんは「私の人生は今後、改善される見込みはありません。坂を滑り落ちるだけです。」と動機を語りました。
ただし「唯一の恐怖は、夫の将来です」とも口にしていたそう。
自分がこの世を去った世界で、夫が幸せになることを願っていたそうです。
翌朝現場に宮下さんは立ち会いました。
スイスの自殺幇助は患者が致死薬入りの点滴をストッパーを自ら解除する方法が一般的のようです。
点滴を左手首に刺したサンドラさんは、医師による最終診断を受けます。
「このストッパーを外すと何が起こるかわかりますか?」と尋ねられ、「yes,I will die.(はい、私は死ぬのです。)」と躊躇なく答えた。
その後に夫の写真にキスをして自らストッパーを解除すると、ほんの20秒ほどで彼女の全身の力がスーッと抜けて、あっという間に息を引き取りました。
直前まで普通にしゃべっていたのに、死の瞬間を目の当たりにして、本当に止めないでよかったのかと自責の念に宮下さんはかられたそうです。
サンドラさんの考え
サンドラさんは余命半年と宣告され、そこからスイスに渡り医師とお話をしたそうです。
「死が予告されていた彼女は「なぜあと何ヶ月も耐え難い痛みを我慢して生きる必要があるのか。私は無神論者で神や死後の世界は信じていません。」と言い、「耐えられない痛みとともに、じわじわと死んでいくのが恐怖なのよ。」とも訴えました。」と宮下さんは語ります。
死の直前に取材時の写真や会話の使用の誓約書にサインを求めると、彼女は冗談をめかして、
「明日はもう死んでいるから、サインできないわよ。」
と宮下さんは振り返ります。
夫を心配していたサンドラさんですが、夫は深い喪失感に苦しみましたが、その後は再婚し、彼なりの幸せを見つけたようです。
他の安楽死者の人たち
みな、死の直前まで人としての尊厳を失わず、明るく振る舞っているよう。
死の当日に親族や知人を集めて盛大なパーティを開いたりする人もいるそうで、ちゃんと受け止めているような印象を受けます。
訪問看護師や病院看護師を経験して思うこと
僕自身安楽死を推奨するわけでも、自殺幇助を肯定するわけでもなくどちらでもないと言うのが考えです。
国によって考えはあるし、価値観も違う、それは地方とかでも違うし育った環境で変わることがあるから仕方ないと思ってます。
でもそんな中考えるのは、死を考えずしてウェルネスは考えられないと思っています。
病院看護師をしていて、日々多くの方の看取りの場面に立ち会うことがありました。
予定の手術で病棟を後にした人が再度病棟に帰ってこなかった人もいます。
医療は治すところではありますがなんでも治せるところでもなければ、苦痛を残しながら生き続けさせることもできます。
サンドラさんのように難病からくる痛みは痛み止めを使用しても完全に無くすことはできないこともあります。
そんな中でとても大事になるのは、自分がどうあるべきかだと思います。
これから自分は死ぬ、難病はあるけどこうありたい、痛みはあるけどこう生きていきたい。と思えるかどうかだとも思います。
実際自分がなったらまだ考えられる自信はありませんが、それを育む環境づくりや地域づくりは大切だと思っています。
自分がどうありたいかを考えながら生きることが予防になる
結局ゴールはないんですよね
でもこうありたい、こう生きていきたい
例えば、
人と仲良くしていきたいと思えば、最期はたくさんの人たちに見守ってもらえて最期を迎えられるし
お金をしっかり残しておきたいと思っていれば、きっと葬儀は少しリッチにできるかもしれないし子どもにお金を残してあげられるかもしれない
身体を少しでも良くしていきたいとか、こどもには迷惑をかけたくないと思っていれば、きっと最期は介護が少なく済むかもしれない
死は怖いしネガティブに捉えられるかもしれないけど、きっと少しずつ受け入れれば今の暮らしがめちゃくちゃ充実すると思うんです。
なんでこんなことを言うのか
職業の中で看護師はとても珍しい仕事だと思うんです。
人のライフステージの全てに関わっていて、しかも割と密着している。
そして最期にも立ち会い、その人の最期の死に方を聞くこともあります。
僕は訪問看護師として、死が予測される人に対して
「最期どこで死にたい?」
とストレートに聞いたことがあります。
本人は驚く顔もせず「病院がいいかな。その方が安心する。」とはっきり言いました。それを聞いた家族はびっくりしていました。
家がいいという風潮がある中、病院を選んだこともそうですし、すっと死に場所を選んだことも驚いていました。
予防を考える中で死はしっかりと考えた上で関わらなくてはいけないと思います。
ただ楽しければいい、予防こそ大事と言う人ほど死をどれだけ意識しているかが大切だと思うので
みなさんに今日も一日最高の1日になるように願いを込めてエールを送ります!
ウェルネス最高!
ではまた!