赤ちゃんがいる高齢者施設「看護小規模多機能むく」を始めた理由
私は、作業療法士だ。
むくを作る前は、病院や老健で働く、ただの作業療法士だった。
お年寄りや障がい者を相手に、ベッド上で関節可動域訓練をしたり、マッサージをしたり、生活動作訓練をしたり、、してた。
でも、そんな訓練ばかりじゃ面白くないから、カラオケに行ったり、温泉に行ったり、海に行ったり、山に行ったりも、、、してた。
作業療法士という仕事は、作業療法士という資格を持つ人間がすれば何でも作業療法になってしまうような、そんな楽しい仕事だ。
ただ、そこには作業療法士の視点というのが必ず入る。
後付けでもなんでも、記録に上手いこと書けば、なんだってできる。
認知症のある老人とカラオケに行く。
目的は、発声訓練だったり、社会性の獲得だったり、屋外歩行訓練とか、IADL訓練とか、QOLの向上とか、その人によってなんだって当てはめることができる。
正直、作業療法士という仕事は天職だと感じていたし、やりがいもあったし、面白かった。
でも、病院や大規模施設での作業療法には限界があった。
リハビリは1人何分という時間の縛り、サラリーマンとして日々あげなければいけない点数の縛り、深入りしすぎてはいけない関係性の縛り、膨大な書類、他スタッフとの温度差の違い、、、。
もともと、バックパッカーで、自由人として生きてきた私は、それが、だんだん窮屈になっていった。
なんで、みんな同じ服を着て、なんで、みんな同じ時間にご飯を食べて、なんで、うんこまでみんな一緒にしてるんだ??
なんだ??
人って何なんだ~??
そして、人が人として見えなくなり、人が点数に見えてきたとき、この仕事をやめて起業しようと決意したんだ。
でも、一度目の決意をしたのはむくができる15年以上前。
私がまだ(ギリギリ)20代のころ。
事業計画を立てて、物件を探して、見に行って、何度もお金の計算をして、、、あきらめた(笑)
とにかくお金がなかったし、銀行に借りる勇気もなかった。
でも、心のどこかにはずっと引っかかってた。
ずっと、ずっと、いつかは縛りがない「普通の人の暮らし」をつくってみたいと思ってきた。
多分、誰のためでもない、自分のために。
そんな中で、海外を放浪していた時に出会ったオーストラリア人と1度目の結婚をし、長男が生まれた。
程なく離婚をし、シングルマザーも経験し、数年後に(今度は日本人と)2度目の結婚をして、次男が生まれ、適度に波乱万丈な人生を送っていた。
で、やっぱり仕事に窮屈さを感じだしたころ、3男が生まれた。
ちょっと前の自分だったら、この子が大きくなって、落ち着いてから起業しようって思ってたかもしれないけど、気が付けば私も42歳。
そうそう、悠長にしてたらおばあちゃんになってしまうではないか。
それに、もしかしたら今って、いいタイミングなのかもしれない。
旦那は大工だけど、歳を取ったら使えなくなるかもしれないし(当時60歳)、育休中だけど時間はたっぷりあるし、失敗しても作業療法士だもん、仕事はどこかにあるだろう・・・って(軽いな)
そして、何より『赤ちゃんがいるからできないじゃなく、赤ちゃんがいるからこそできる』をやればいいんだ!
と、3男が3か月の時に本気の起業をした。
2016年1月6日。
合同会社MUKU設立。
2017年4月1日。
看護小規模多機能むく開設。
なんで看護小規模多機能?とか、赤ちゃんがいるからこそできること?とか、なんでMUKU?って話はまた次回。
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