【思考実験】弁護士法の素人が、弁護士法72条がない世界を想像する
はじめに
弁護士法72条撤廃せよ・「非弁」という概念自体の撤廃(つまり、法律事務の自由化)、という論旨を唱える市会議員のツイートが法クラで話題になっているようです。
じつは、この手の話は、業際問題というかたちで出てきますが、この手の言説の特徴は「市場原理」という言葉とともに、しばしば浮かんでは消失しています(尤も、こうした言説における「市場原理」の中身が曖昧なのが難点です・・・要するに「好き勝手に競争させて、負けたやつは市場から放逐しろ」という程度のもののようである)。
この点、法72条の立法趣旨・存在意義といった理屈っぽい話は、いつも愛用する「条解 弁護士法」や、高中先生の「弁護士法概説」を読めば、一目瞭然です。
が、そういう「理屈っぽい話」ではなく、「市場原理」(上記とはことなり、どこまでを公助としどこからを私的(に費用負担させるか)とすることが社会の安寧平穏という点での全体最適を生むのかというようなマクロ経済的考察や、利用者の正当な権利救済への貢献度というようなミクロ経済的考察)をほんの少しだけ意識しつつ、本当に72条を撤廃したらどうなるか、その世界線を想像してみました。
1 話し合いによる交渉というのは成り立ちづらくなり、紛争解決までのトータルコストが上昇することが見込まれる
弁護士の仕事の大半は、「論点整理」「主張整理」だと思います。
どの法律を当てはめて構成するかはその次の話です。
しかし、これには一定の知識(とくに法律・要件事実)に基づいた知的作業が必要であるところ、それがないままだと、論点がゴチャゴチャになり、そういう場合、人間心理としては、怒鳴り合い・怒号・喧嘩にしかなりません。
こういう知的作業は非常に煩わしいもので、これをすっ飛ばしたいのが本音でしょう。弁護士を生業とする私ですら、面倒に思うことがあります。
が、こうした知的作業をすっ飛ばすことが正当化されると、
暴力・威力・恫喝が一番手っ取り早い
・・・という世界線に入るインセンティブが高まることになります。
こうなると、「話し合い」が成立する確率は、減少する可能性が高くなり、暴力・威力・恫喝を背景とした理不尽な要求等に対しては、平場での交渉は困難となり、裁判に移行することを余儀なくされます。
その結果、紛争解決までのトータルコスト※は上昇すると見られます。
※コスト…金銭・労力・精神的コスト。本論考において以下同義。
2 物理的な力関係によって勝敗が決まる『弱肉強食』の実現
上記1から派生して、以下の結末が予想されます。
①力関係で上に立つ者が、劣る者を抑圧することが常に許容されます(なお、ここでいう「力関係で上に立つ者」には、国や自治体、大企業が含まれます)。
②(しばしばありますが)正当な(被害回復のための)権利主張をしたい場合、逆に、理不尽な要求をはねかえしたい場合でも、そうした主張を、「相手が強者だからあきらめよう」「報復されるかも」という恐れを抱きながら萎縮して「やめておこう」という方向に働く可能性があります。
もちろん、今は「そういうことはない」といえますが、それは法的土俵がしっかり担保されているからこその話であり、1で述べたような「暴力・威力・恫喝が一番手っ取り早い」世界線になっていくと、そのようにいえなくなります。
その結果、「物理的な力関係において劣る者は法的に認められている正当な権利行使のインセンティブを持ちにくくなり、よって、物理的な力関係と、正当な権利行使の可否が、比例する」状態をもたらします。
人はこれを『弱肉強食』と呼んできました。これを正当化せしめる、ということになります。
3 既に商売の成り立っている弁護士にとっては、かえって儲かる可能性が高い。
法72条をなくし、弁護士独占を撤廃すると、既に商売のなりたっている弁護士にとっては福音になると見ます。
なぜならば、プロ野球の公式戦に素人さんが出てくるわけですから、打者なら本塁打・安打・打点を稼げるし、投手なら防御率・勝ち星を稼げる絶好のボーナスステージとなるからです。
ただし、本人(訴訟)なりの煩瑣はあります。ルールを知らないがゆえ、あるいはルールの誤解に基づき、平場の交渉ではビンボールや乱闘といった反則行為を企図してくるケースが多いです。
その場合、弁護士は裁判所という「グラウンド」「審判」に移します。国家機関たる裁判所の管理下でゲームを進めることになります。ここではビンボールは禁止です。
したがって、72条がなくなっても、商売の成り立っている弁護士にとっては、いわば「ホームグランド」でいつも通りの戦いをすればいいだけのことであり、しかも、相手にこれまで出てきたプロ選手が出てくる確率が減りますから、打率本塁打打点(防御率・勝ち星)を稼げるのです。
そのうえ、今後、プロをめざそうという人が減ってくるでしょうから、既存の飯を食っていけてる弁護士にとっては、プロとしての新規参入者が減るので、無双状態になる輝かしい未来が待っているように思います。
72条が撤廃されると、多くの弁護士は、(少なくとも一定期間は)かえって儲かると思いますから、弁護士的にもこれは受け入れられやすいのではないかとも思います。
利己的な経済的利益だけでいえば、72条廃止のほうが分があると私は見ています。
注)この手の業際問題は、しばしば、弁護士が嫌いという文脈で語られることも多く、ただ、そういう文脈で72条撤廃・法律事務解放を言ってるのだとしたら、逆の結果を招来する可能性もあるので、取り扱いに注意が必要です。
4 裁判所がパンクする。あるいは、裁判所に割くべき税金の増大を招く。
もともと、弁護士という職業があるのは、おかしな話です。
そもそも自分が理想とする司法とは
「裁判所にダンボールに詰めた整理されざる書類を無造作に持っていけば、数カ月後に指定口座に相手方からの回収金が自動的に振り込まれてくる」
というものです。
ところが、それを実践すると、無造作に詰め込まれた書類の整理や分類、文書作成などの時間を要することになり、そのために裁判所は人員を割く必要があります。これに対して、裁判所は、国家予算の0.3%しか予算を割いてもらえておらず(我が国)、人員はカツカツなのが現状です。上記作業の必要を充足するほどの人員を配置するとなると、新たに人員を増員配置する必要があり、これに膨大な税金がかかることが予想されます。
しかも、ここでの「人員」は、誰でもよいというわけにいかず、
”判断作業のコアを担う裁判官の判断に適したフォーマットに整える能力”を有した「人員」であることを要します。
その能力をもつ「人員」を育成するにもまた税金がかかります。そこで、日本の(というか世界の多くの)司法制度では、
「ダンボールに詰まった書類の整理分類と文書化等の作業を、”判断作業のコアを担う裁判官の判断に適したフォーマットに整える能力”をもった
「弁護士とかいう外注業者」
にやらせる」
というシステムを採用しています。
この「弁護士とかいう外注業者」が担う作業の費用は、利用者負担です。その分、裁判所がリソース(≒予算)を取られなくて済む、という仕掛けです。
さしずめ
”(判断作業のコアを担う)裁判官の判断に適したフォーマットに整える能力”
の有無を問う試験が、
司法試験
ということになるでしょう。現行制度は、この
司法試験に合格した奴だけが、裁判所に出入りしていいよ
法律事務にかかわっていいよ
という仕組みになっています。したがって、冒頭で「話題になっている」弁護士法72条撤廃せよ・非弁概念撤廃(法律事務の開放)は、要するに
「ダンボールに詰まった書類の整理分類と文書化(”裁判官の判断に適したフォーマットに整えたもの”)を、有象無象の業者も含めてだれにでもやらせろ」
といっているのと同じ意味です。そもそも、法的問題は、当事者にとっては人生あるいは社運がかかっていることも多いですし、そうでなくても、ワンチャンスで(物理的にではなく主観的にでも)その人にとって大事な何かがかかった問題です。そして、その問題は、
ダンボールに詰まった書類の整理分類と文書化を、裁判官の判断に適したフォーマットに整える、もっといえば、裁判官にいかにわかってもらうか、ということに死命がかかっているわけで、それを
だれにでもいいからテキトーにそこらの有象無象の業者にお願いする
という心理状態に、ヒトの経済的合理的行動として、そうなるのか、私にはそこらへんは想像がつきかねます。
例えて言うならば、「ちょい難しめの手術で、しくじったら死ぬ可能性があるときに、無資格の”自称医学に詳しいおじさん”に執刀をお願いする度胸がある人がどれだけいるか」という問題です。私にはそういうことに命を賭すだけの度胸はありません。
まとめ
これら1~4の観点から、「法72条のない世界線」というのを想像してみましたが、こういう結末が、法治国家として望ましいことかどうか、さらには、本当に「市民のため」「利用者のため」になるのか?というか、「市民のため」「利用者のため」に「法72条を撤廃しろ」といっているのか?もちろん私にはわかりませんし、◯◯のために、というのは、いつでも、答えは一つではありません。ただ、一専門家(ただし弁護士法の素人)として、違う結末があるんじゃないの?ということが演繹的に予見される場合、そのことを指摘しておくのも、大事なミッションのひとつだと思っています。
もちろんこれらを読んでもなお「法72条は不要!」という考え方も、当然アリでしょう。
そして、願わくば、どうして法72条が存在するのか?ということを考えていただけると幸いです。
あとは、ご精読くださった方々の評価に委ねたいと思います。ご精読、ありがとうございました。
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