民主主義は、確実に終焉を迎える
資本主義にはかならず終わりが来る、と言ったのはかの有名なマルクスだが、そんなことをうそぶいてしまったせいで世界に共産主義というさらにめんどくさい思想が広まってしまったのは、笑えないオチであった。
まあ、マルクスの資本主義批判というのは、当たっている部分や外れている部分の振れ幅が大きく、そのままでは理論をうまく当てはめられないことが多いのだが、今日お話するのはマルクスとはまーったく無関係の、リアルなこれからの未来である。
私は今日、マルクスのように宣言する。民主主義はおしまいだ!と。
民主主義はヤバい、終わりがくる、終焉する!というのが解脱者・武庫川が最近気付いた大問題である。ビビビときたろう。
さて、ムコガワさんはふだん、世をしのぶ仮の姿として建築業界のすみっこぐらしをしているが、建築業界というのは、すでにソフトランディングをはじめており、終焉にむかって下降線を飛んでいる。
というのも、新築着工軒数はすでに、70年代以前のように減少しており、そもそも家が建っていない。少子化で家を建てる若者人口も減っているので、当たり前の話である。
家の造りもどんどん悪くなっていて、たとえば「ドラえもん」の野比家は、トタン張りの板金屋根の一戸建てだが、いま流行しているのは板金屋根の新築である。あれはコストが一番安いので、板金になるのだ。屋根材としてはもっとも軽量なので、柱を細く(安く)できるという作り手のメリットもある。(当然、夏とかはめちゃくちゃ暑い)
というわけで建築関係のいろんな取引業者さんとかと話をしているのだが、みんな「次の世代、次の若手、次の未来」のことなど考えられない「終息」の話しかしないのである。
「あと10年くらいは徐々に落ち込みながらも、なんとか会社が存続するでしょうね」
とか
「今の仕事は自分の代でおしまいで、残りの人生は業界のケツ拭きかなあ」
とか、
「お互い最後を見届けましょう」
みたいな話ばっかりになるのである。
すこし前までは「生き残りのために頑張ろう」みたいなネタもあったのだが、生き残りどころか、借金が少ないメーカーからどんどん廃業してしまい、いろんな建築資材が「撤退、生産終了」になっているので、辞められるところはやめてしまい、「逃げ遅れた」ところだけが細々と資材を作っているのが現状である。
私は「業界が疲弊したら倒産とかいっぱい増えるのだろうな」と思っていたが、そうではないのだ。倒産ももちろんあったが、それ以外の元気なメーカーが、さっさと売れるうちに工場の敷地を現金に変え、利確していったのである。
息子には会社を継がせず、どこかの企業にサラリーマンとしてもぐりこませてしまえば、その一族はとりあえず食っていける。そんなリアルな話ばかりであった。
ということは、逆に残った一部のメーカーが生産をやめてしまえば、もう日本にはソレはない、というものが、いっぱいあるのだ。普通の人が気づいていないだけで。
そういう会話をお互いにしているのは、ギリ40代から50代前半の、まあ中堅社員たちである。定年間近の老害おっさんは、すでにその先のことしか考えていないので、会社に興味はない。
しかしあと10年、あるいは最長15年ある本来なら脂の乗ったベテラン社員たちがその調子で敗戦処理に取り掛かっているので、どう考えても業界に未来はなさそうだ。
さて、少子化というのは、実は人類史上誰も経験しておらず、その時実際に何が起きるかは、誰も知らない。理論上、推論上の話はできるが、実際に起きてみないと「こんなことがあるんだ!こんなふうになるんだ!」ということにはなかなか気付けない。なぜならこれまでの社会が「人口増加」という当たり前のシステムに乗っかって設計運用されてきたからである。
ふだん別の記事でも言っているが、日本の人口は早急に絶滅に向かっているので、急激な人口減少が待っている。となると、民主主義も同時に崩壊する。
なぜか。
それは汗水サラリーマンたちのふだんの会話に現れている。つまり、「あと10年、あと15年持ちこたえたらいいのだ」というやつだ。
私はギリ40代のピチピチのおっさんだが、そんな働きざかりのおっさんの基本姿勢が「あと15年持てば」なのである。ギリ40代ということは正直に言えば誕生日がくれば50歳。65歳まで業界には持ちこたえてほしい。あとは知らんということだ。みんながみんな、そう考えている。
こんな人間が選挙権を持っているのである。
つまり、選挙権の最多ボリュームゾーンを握っている人間たちが、未来ではなく、「とりあえずこの10年、15年のことしか考えず、それを公言してはばからない」わけだ。それ以上の老人であればなおさらである。
これが民主主義崩壊の、基本的理論である。
これまで人口は増加する、という前提で主義思想は組み立てられていたので、「民主主義」の理念は一人一票を持ち、未来に対して意見を表明し、それを結実させることができる、というものであった。
人口が増加するときは、人口ピラミッドの下のほうが大きいので、全員がおなじ重みの一票を持っていると、おのずと「未来志向」の投票結果となるわけだ。だから未来がよくなるように政策を考えることができる。
ところが逆ピラミッドだと、「今のことだけ」「自分のことだけ」が基本路線の人間が最も投票権を持つため、政策はおのずと後ろ向きになる。
そうすると民主主義のために全員が一生懸命考えているようで、実は停滞から衰退に向けての処理しかやっていない、ということが起きるのである。
実はこの話は、社会福祉の費用負担においてはすでに明確になっていて、「若者1人が老人数人を支える社会がやってくる」という視点ではすでに述べられていた。ところが、福祉どころか社会設計そのものがそれとおなじ状態になると、政策選択や政策決定のすべてが、「トチ狂ってくる」わけだ。
まじめにやっているのに、事態がどんどんおかしな方向へ進むようなことがドンドン増えてくるに違いない。
儲かっていたメーカーから逃げ出すような、そんな逆転減少が多々生じるのだ。
さて、ではどうしたらいいのか。マルクスのように『革命が起きる!』とでも言えばいいのだろうか。民主主義を否定して、若者による傾斜政治が行われたりするのが良いのだろうか?
たとえば、若者には3票分、中年には2票分、ジジイには1票分の権利しかないような投票権が登場するのだろうか?!
いずれにしても、いまの形の民主主義「一人がおなじ重みを有する」という思想は崩壊するに違いない。しかし、同時に「一人の重みが平等」ということを否定すれば、その瞬間に共産主義も崩壊である。ざまあみろ(笑)
もちろん、民主的な我々なので、これからどうするか大いに議論してゆきたいものだが、50代のおっさんは「あと15年」のことしか言わないので、議論しても無駄な気がする(笑)
まずは、こんな感じでとりいそぎ、「民主主義・終焉論」をぶちかましてみたのである。
さあ、明日はどっちだ!
(おしまい)
<追記> こんなのは赤ちゃんが増えれば一発で解決するのだが、先進国は軒並み少子化に苦しんでいるので、民主国家はみな崩壊するだろう。
あと、「移民を受け入れたらいい」という意見もあるが、移民の若者がボリュームゾーンになると「日本人の未来」よりも「移民の未来」が優先される政策が実行されるので、オチとしてはさらに地獄絵図ということも有りうる。しらんけど。
いやはや、50代のおっさんはあと15年しのいで、逃げ切って死ぬのが幸せなのだろうか。どっとはらい。