消えた天才。欧州王者になったのち、ギリシャは彼に託すはずだった。
EURO2004を優勝したギリシャ。開催国のポルトガルを決勝で破り、見事トロフィーを掲げた。今や大スターのクリスティアーノ・ロナウドが決勝で涙を流し、悔しがったシーンは多くの人の印象に残っているのではないか。今回はロナウドの話ではないので、EURO2004の話はおしまいだ。
2004年から3年後若返りを計りたいギリシャにとって、希望の兆しとなったのが、U19欧州選手権での準優勝という結果だ。当時はソクラティス(アーセナル)やコンスタンティノス・ミトログル(ガラタサライ)がメンバーの一員であり、準決勝ではメスト・エジル(アーセナル)やジェローム・ボアテング(バイエルン)擁するドイツを退けている。決勝では惜しくもスペインに敗れたが、この大会でMVPを獲得したのが、この記事の主人公ソティリス・ニニスだ。
「崇高なビジョンをともなった目もくらむようなボールキープ力、衝撃を与える攻守の切り替えの速さ、恐ろしいほどのロングシュートの技術を兼ね備えている。」_Wikipedia引用_FIFA公式サイトから
これはFIFA公式がニニスの紹介に使用した文章である。彼は16歳でパナシナイコスのトップチームを果たし、そのシーズンで14試合3ゴールを記録。同じリーグの強豪であるAEKアテネ戦では1ゴール2アシストの活躍。その後はリーグの最優秀若手賞を最年少で受賞。そして彼は20歳までにパナシナイコスではキャプテンを経験し、フル代表でも11試合に出場した。世代別代表での経験、クラブでの実績もあり、レアル・マドリードやマンチェスター・ユナイテッドも関心を示した。
最後まで引き抜きを伺おうとしてたのはどうやらユナイテッドだったらしいが、ユナイテッドは当時ポルトで活躍していたアンデルソンを選択。ニニスのビッグクラブ進出はならなかった。まだチャンスはあると思われていたが、ここからニニスは怪我に悩まされる。2011年に長期離脱を強いられると、復帰後もパフォーマンスが低下。引く手数多だった逸材が存在感を薄めていった。2012年に契約が切れると、セバスティアン・ジョビンコ(アル・ヒラル)の後釜を探していたパルマに移籍。しかしセリエAでは活躍できず、1年でギリシャへ復帰。PAOK、そして古巣のパナシナイコスでプレーするも、ここでも結果は残せず。才能はいつまでも輝いているものじゃない。ニニスのコンディションは上がらなかった。
現在はイスラエルのハポエル・アシュクロンでプレー。年齢は29歳となった。どうやらニニスはセスク・ファブレガスのようだと言われていたらしい。正直私自身もそこまで情報がないのだが、なぜか”二”から始まるサッカー選手と想像するときにいつもニニスが出てきていたのだ。
才能は有限であり、環境が大きく左右する。大きな障壁も立ちはだかる。そして運も関係あるのでは。大成している選手の裏で、孤軍奮闘している天才もいることを覚えていて欲しい。