イキリマーケティングの終焉について
セラピストに限らず、SNSでののし上がり方の一つに、イキリマーケティングというものがあります。
嘘です、勝手に呼称してます。
具体的には、わざとちょっと強めのことを言ったり、攻撃性高めにしておいて、寄ってくる人をふるいにかけたり、それでも来てくれる人や、オフラインで出会った人には丁寧に接してギャップで行くやり方のことです。
これが方法論として終わったのではないか、というのが今回のテーマになります。
※いい悪いのはなしではないので、念のため
世の中に起きている変化
ここ数年でいろいろなことが変わった感じがしませんか?
・テレビなどの表現規制、嗜好の強化
・大義名分さえあれば叩き放題の風潮
・動画や文章を最後まで見ない人の増加
を感じます。
例えば、容姿いじりなどがなんとなくダメになり、漫才のコメント欄に人を叩くのは時代遅れってコメントが散見されたり、当事者ではない人間が、「裏切られた人の気持ちを考えろ!」と不倫をしたタレントや、不祥事を起こした人が木っ端みじんになるまで叩き、墓まで行って叩き、中から引きずり出して叩くレベルの行き過ぎた行動(例えですよ)を起こしたり、見出しや切り抜きだけ見て中身を勝手に解釈するような人が増加した感じしませんか?
雑に解釈すると、
裏表の判断や、いい悪いの判断の前に好き嫌いが来るようになった
リスク回避の傾向が強い(やべー人に会いに行くとかなし)
話をちゃんと聞かない人が増えた
というところでしょうか。
会ったらいい人狙いはリスクが高い
余白がある時代なら通用していましたし、その時代に成功した人たちは、方法論としてこのやり方をしていたと思います。
もっと頭のいい人たちだと、強い言い方、ではなく本音で発信しようみたいなことを言って、心理ブロックを下げる技を使っている人までいたと思います。
これは、まだ心理的に余白があった少し前までのお話になります。
2020年以降、現代人は余白が無くなったと言ってもいいくらいの緊張状態で日々を過ごしています。
どうでもいい事で言い争ったり、好き嫌いがコロコロ変わる人を見たことがない人は果たしてどのくらいいるでしょうか?
そんな時にギャップ狙いに行ったところで、「会ったらいい人」は発動しません。
そもそも会う気が無くなります。
どの界隈でもいいですが、「普段辛口ですが、あってみたら優しい人でした、いい人でした」みたいな投稿をしている人、その人が会いに行った人を見てみてください。
その人のことが好きだったら許容できるかもね、っという極論や感情論が散見されます。
2020年より前のものですが、要はこういう事です。
これはスモールサンプルかつ、自分の偏見もバイアスになっていますが、セラピスト界隈の会ってみたら○○に関しては、あってみた同士がわかってねえな系だったり、お互いの嫌いなものが一致して打ち解けたみたいな印象があるんですよね。
不景気にわざわざリスク冒して会う人に用がある人っておる?
めんどいと感じてる人とか、おっかないって感じている人にわざわざあいにく人って、2022年現在でどのくらいいるでしょうか?
どうせ会うなら会いたい人に会いに行くでしょうし、そういう冒険はだいぶ後ですると思います。
どちらかというと、オンとオフにギャップが少ない方が安心感がありますよね。
斬りかかる系はささくれがち
自覚症状がない人は結構いそうなんですけど、人に切りかかる系の人ってなんかささくれていく傾向を感じます(N=1の意見)。
ささくれるというのは孤独です。
そうすると、なんとなく同意見だった人たちとなんとなく集まるようになります。
最近の若いもんは連合と仮に呼称します。
そうするとそこの紐帯は強くなりますが、世間からは距離が出来ていきます。
あんまりお勧めはしません。
あるあると称して陰口で飲むお酒ってあんまりいいもんじゃないと思うんで。
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