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フロ読 vol.18 松岡正剛 『山水思想』 ちくま学芸文庫

ふと安土桃山が気になって手に取った。
 
織田信長は日本の仏教(朝山日乗)とキリスト教(フロイス)を論戦させた。時代の先端を突っ走る者が作った「対立の構図」。フロイスを面白がった信長の感覚。これが日本のヨーロッパに対する受容の仕方を決めた、とは! ちょっと他の歴史書では見当たらなかった視点にぐっと引き込まれた。これが日本流の南蛮文化を産む。桃山シナシズムとは言い得て妙。
 
日本とヨーロッパの関係を繙こうとする歴史批評は多いが、著者はヨーロッパに向き合っていこうとする日本の手法の検討がこの桃山文化で開花したのだという。関係そのものを事象として眺めるより、それをどう築こうとしたのかに目を向ける、この目の向け方がいわゆる「専門家」ではない、マルチタスクをこなす松岡正剛ならではの視点ではないだろうか。
 
ヨーロッパは宗教改革とそれに対抗しようとする旧勢力。日本列島は都市と農村という社会的分業があった。この分業が貴族と武士は都会、農民は農村という土地感覚を孕ませることになる。さらにこの分業は両者の間に立つ町人の擡頭を生む。織豊政権の「楽市楽座」が新しい文化の追風となって、豪商による都市の形成を容易なものとする。
 
交通、インフラの発展、度量衡の確定…「交通と交換」。
 
「内」の金銀の産出、「外」の南蛮技術…冶金業と陶業の発展。
 
オランダからのネジ、朝鮮からのソロバン。
 
様々なものが、絢爛豪華、珍妙奇天烈に交わっていったのだろう。その中でイニシアチブを取ったのはやはり町人だった。町人が都会に入ることで公家や武家の風習が民衆のものになる。…洛外洛中図はもう一度そういう視点で見てみたい。
 
動いていったのは政治ではなく、そこに素早く反応したビジネスマンたちの働きによるムーブメントだった。最近はテレビを観ていても政治家に対する批判ばかりだが、YouTubeでは企業家やユーチューバー自身が政治などを待つことなく先制している。案外、いい時代が来たのかも知れない。
 
町人を中心とした、南蛮文化に対する「意匠の冒険」。日本のお家芸「渡来コードに自前モードを編集する文化」…外からコードを蒐集し、家で独特のモードを創る。ああ、大好きな話の流れになってきた。
 
空海、道元、重源、雪舟。人麻呂、運慶、夢窓老師。一遍、世阿弥、千利休。豊富な具体例を全部調べたくなってしまう。著者の知識と筆力にクラクラしてくる。
 
禅林から法革へ。みんなが天下一になる時代。なんとも壮大なパラダイムシフト。大城郭かつ層塔型の天守閣が表象する天道思想。日本型バロック空間。弥勒の世。桃山の夢ですっかりのぼせるバスタイムでした。

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