憎きはらわた、足掻く日常。
わたしは、胃腸と精神に病を抱えている。
それらは互いに影響し合い、わたしの生活に影を落とし続けている。
体も心も蝕まれているこの感覚は、もう何年も続いていて、正常だったあの頃を懐かしむこともできない。
足掻いてはいるが、なかなか逃れられない。
正直、とてつもなく生きづらい。
できることならポジティブにいたいけれど、苦しみの最中ポジティブな思考に変換しようとすると、気が狂いそうになる。
最近、社会的には異常とされる状況ではあるものの、生活が久方ぶりに落ち着いている。
おかげで、本当に久しぶりに、胃腸が正常に戻ろうとしているのを体感できるようになった。
ずっと止まっていた月のものも来るようになった。
嬉しかった。
わたしの体が、元に戻ろうとしているのだと。
けれど、昨日と今日、また大きく胃腸の調子を崩してしまった。
原因は、恐らく数日前に都会に出かけたこと。
都会への長距離移動、人混みなどのイレギュラーな事態に心身がストレスを感じ、反応してしまったのだろう。
都会に行ったことは全く後悔していない。
だって、大好きな人たちに会って、素敵な経験をたくさんできたから。
本当に、幸せな時間を過ごさせてもらった。
けれど、わたしの意思に関係なく、心と体は勝手に反応して、狂ってしまう。
でも、わたしは、努めて深刻に考えないようにした。
少し休めば、また胃腸の様子は改善していくだろうと、楽観的に考えるように試みた。
実際、ずっと家に居られて、ストレスを限りなく受けないようにすれば、体調はずっとマシになることがこの数ヶ月でわかっていた。
でも、今日の夕方、どうしても精神的に耐えられないことがあった。
それはとても些細なことだ。
わたしの病んだ胃腸は、常にバーナーの火でジリジリと焼かれるように痛んでいる。
その嫌らしくしつこい痛みは常にあるので、もはや当たり前の感覚となっていた。
そして、そんな痛みの中でもお腹は空く。
夕方、わたしは、珍しく戸棚の中にポテトチップスがあることを思い出して、食べてみようかと思い立った。
いつものわたしは、ハイカロリーを気にしてお菓子をなるべく食べないようにしているのである(ハイカロリーの割にお腹が満たされなくて、空腹を満たすにはコスパが悪いなと思っているのもある)。
でも、今日は体調が悪くて気分が塞いでいたこともあってか、
珍しくお菓子であるポテトチップスが食べたくなった自身の欲望に、
忠実になってみようと思った。
しかし、それは結局叶わなかった。
「今日はお腹の調子が悪いなら、やめておいたほうがいいんじゃない?」
母がわたしの体を心配してくれて、止めてくれたのだ。
誤解のないようにいうと、母がここで止めてくれたのはなにも間違っていない。
むしろ、止めてくれてわたしの胃腸は助かったのかもしれない。
というのも、過度な油は、胃腸を刺激してしまう可能性があるからだ。
わたしはハッとした。
胃腸の痛みが常になりすぎて、適切な自己管理を忘れていたのだ。
「そうだね」
と苦笑して、わたしは自室に下がった。
どうしてだかわからないけれど、涙が溢れてきた。
後から考えるに、わたしには色々な感情が生まれ、一杯になってしまったのだろうと思う。
他人に指摘されるまで、自己管理を忘れていたことに対する自己嫌悪。
好きなものを好きな時に食べる、そんなことさえできない虚しさ。
そして、そんなことで思い悩む自分自身、生きること自体が心底面倒に感じてしまう…。
わたしは、胃腸の病が苦しい時、いつも
「こんな胃腸、切り取って捨ててしまえればいいのに」
と思う。
胃腸の苦しみは、しつこくわたしにまとわりついてくる。
地の果てまで、追いかけてくる。
そういえば昨日、YouTubeを観ていると、偶然とあるVtuberを知った。
名前は出さないが、なんかすごいぶっ飛んでいて、いつか100万点のお嬢様になることを目指している方だ。
わたしは普段そんなにVtuberの方の動画を観るわけではないので、界隈には全く詳しくない。
それなのに、やたらとYouTubeのタイムラインに、おすすめ動画として彼女の切り抜き動画が表示されるので、試聴してみたのだ。
切り抜き動画を観てすぐ、わたしは彼女の初配信動画を全編試聴した。
彼女の生い立ちや言葉に共感が止まらなかった。
彼女は、人生の色々な場所に馴染めず、自分がこの世にいるのは間違いなんじゃないかと思っていたという。
ここにはシンプルに共感。
そしてどういうわけか、胃カメラ(厳密には違うらしい)の画像を公開した(ぶっ飛んでいるというか、なんというか、発想が凄すぎる…)。
その内臓は荒れていた。
初めてその配信の模様を観た時は
「なんちゅう初配信や」
と心底驚いたが、後からじわじわと共感の感情が生じていることに気がついた。
彼女の内臓がなぜ、どのように荒れていたのかはわたしにはわからない。
けれど、精神と胃腸に問題を抱える者の一人として、シンパシーを感じずにはいられなかった。
そして、その情報を公開してくれたことに深い感謝の念を抱いた。
これはわたしが勝手に思っただけなのだけれど、一人じゃないと思わせてくれてありがとう、と。
自分の生に疑問を抱いていること、そして荒れた臓器の写真を惜しげもなく明かしてくれたことは、確かにわたしの心を少し救ってくれた。
何より、彼女が底抜けに明るい態度を示すことが、わたしの心を救った。
ほんと、ぶっ飛んでるんだけど、変わった人なんだけど、泣きそうになったタイミングで彼女の動画を観てみると、少し心が落ち着く気がする。
世界のいろんなところに、わたしが思いもよらなかったところに、なんとか生きているサバイバーはいるものだ。
わたしも、彼女も、もしかしてあなたもそうなのかも。
自分が生きていることに納得できなくて、それでもなんとか生存している。
そんな生きづらいとある人間のお話でした。
2022.06.07
むじゅん