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『火曜倶楽部』〈3 真相〉

『火曜倶楽部』〈3 真相〉

「——それでは、まず…和尚からお願いしましょうか」
腕時計を見やって、禮介がそう言った。しかし、遍檀和尚はあまりはかばかしくないように首を横に振った。
「白状致しますが、拙僧はいやはや無明の境地といった有様でしてな。どう考えても夫が何らかの意味で犯行に係わっておるとしか思えませぬが、はてさて、どうやってそのような離れ業をやってのけたのか。たった一つ得悟できるとするなら、夫は未だ判明しておらぬ方法で妻に毒を盛ったに違いありますまい。ただ気になりますのは、一体なぜ今になってそれが光明にさらされたのか…皆目見当が付きませぬ」
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…と呟いて、和尚は合掌した

「璃恵さんはどうです?」
「伯母さんね!」
禮介に話を向けられて、璃恵は自信満々に言い切った。
「彼女にどういう動機があったか?そんなのはどうでもいいの、彼女が年寄りで、太っていて、醜いというだけで、どうして恋愛感情を持たなかったとお思い?」
「恋愛感情?まさか!」
禮介は眉根を寄せて言う。理恵はふふん、と鼻を鳴らす。
「そのまさかよ、彼女は定塚氏に恋愛感情を持ってしまったんじゃないかしら?それで苑子夫人が邪魔だったのよ、しかし彼女の立場ではその思いを遂げるのは難しかった。義理の伯母という立場で感情を押し殺し、熱い想いを深く忍ばせていたけれど、我慢の限界が来たのね、ついに夫人を手に掛けた。砒素は葛湯に混ぜておいたの、だから自分が飲んでしまったというのは嘘の証言だったのよ」

「なるほど——辺沢さんはいかがです?」
辺沢氏はいかにも法律家という様子で両手の指を突き合せた。
「今の時点では何とも、申し上げられませんな。現時点で判明している客観的事実に基づいては、とても理論的な答えは出しかねます」
「あら辺沢先生、そんなのずるいわ!」璃恵が不満そうに声をあげた。「ご自分の意見を封じ込めて『法廷では証拠が全て』何て法律家みたいな顔をなさってもダメですわ、是非何か仰って!」
「事実関係だけを見れば——」渋々、といった様子で辺沢氏は答えた。
「取り立てて述べることはないようです。しかしながら、個人的見解を述べるとすれば——
職業柄、こういった事件をよく見聞きしますからね——その経験をもとに言うならば、提出された証拠と事実をすべて説明できる唯一の見解は、定塚実里が何らかの事情で定塚或人をかばっている、というものです。彼との間で何らかの金銭的取引があったということも考えられるでしょう、彼は自分に疑いがかかることが当然分かっていたでしょうし、かたや彼女は金持ちの姪がいなくなることで、金に困るだろうことを見越し、密かに彼から持ち掛けられた嘘の証言を飲んだ…もしそうだとすると、これは何とも不届きな事件です。まったくもって不届きです」

皆の意見を聞いて、禮介は不満そうに口を尖らせた。
「僕は皆さんのどの意見にも賛成しかねますね」深くため息をついて、禮介は続けた「失礼を承知で言いますと、皆さんはこの事件において非常に重要なある点を見落としていらっしゃる——医者の娘ですよ。僕の見解を述べましょう。缶詰のエビは事実痛んでいたんです。つまり食中毒は実際に起きていた、他の2人よりも苦しんでいた苑子夫人の為に、小坪医師は薬を取り寄せた。自分で取りに行ったのではなく、娘に取りに行かせたのです。さて、皆さんもご存じの通り、彼女は定塚或人とはただならぬ関係だった。急ぎ診療所へ戻った彼女は、はたと気づいた。愛する彼を自由にできる千載一遇の機会が今自分の手の内にあるとね、彼女の暗い感情はもう止めることができなかった。彼女はその感情に突き動かされるままに、解毒薬ではなく砒素を手に取った——これが事件の真相というわけです」

「さすが作家先生だわ…さて、栗崎さん、真相をお聞かせ下さいな」
璃恵がせがむと、栗崎氏は手を振った。
「いやいや、まだ真古さんのご意見をうかがっていない、いかがです?」

真古は悲しげに首を振り振り呟いた。
「ああ、いけない、編み目を一つ落としてしまいましたよ」編み物の手を止め、薄水色の穏やかな、しかし悲しみに沈んだ目で、一同を見まわした。
「皆さんのお話にすっかり聞き入ってしまって。それにしたって、とても悲しい事件です、本当に悲しい。あたくし、つい思い出したんですよ、この少し先にありますでしょ『大山荘』そこにお住まいだった羽栗さんというご老人のこと。羽栗さんの奥さんたらね、羽栗さんが亡くなるまでちっとも気づいていらっしゃらなかったのよ、羽栗さんが亡くなってようやっと分かったの、よそにお妾さんがいて、子供は五人、しかも遺産は全てお妾さんに遺されていて。このお妾さんというのがね、元は羽栗家の女中さんだったの、とっても働き者でね、毎日布団を干すのも嫌がらないとても良い方だって奥さんは言っていたのだけれど。なのに羽栗さんときたらどうです、自分は隣町にお妾さんを囲っておいて、真面目な顔してお祭りのご祈祷に氏子総代として顔を出したりしているんですよ」

「ちょ、ちょっと、真古伯母さん」
禮介がとどまることを知らない真古の話につい口を挟んだ。
「その羽栗さんというお爺さんが、この事件にどう関係するんです」
「いえね、今のお話を聞いて思い出したのが、その人のことだったのよ」真古さんは何でもないことのように答えた。「いろいろなことがとても良く似ています、瓜二つ、そうでしょう?そうねえ、気の毒な若い娘さんはきっともう何もかも話しているのじゃありません?いかがです、栗崎さん、だから真相をお知りになったんでしょう?」
「気の毒な娘?白状?一体全体何の話なんですか、伯母さん?」
「もちろん女中さんですよ、定塚家の——倉出リンさん」

その言葉に、一同は顔を見合わせた。

「本当に可哀そうにね、問い質されて取り乱して、上手くしゃべれなかったのも当たり前です。もし死刑になるというなら、そのあくどい定塚こそ死刑になるべきです。若くて純粋で、世間知らずの娘さんを口車に乗せて、人殺しの片棒を担がせて…でも可哀そうに、その娘さんもきっと裁かれるんでしょうね、あまりに気の毒です」
「真古さん、その、何か思い違いをなさっているのでは?」
辺沢氏が声をかけるが、真古はきっぱり首を横に振り、ぴたりと栗崎氏を見つめた。

「あたくしがお話した通りじゃありませんの?とてもはっきりしているじゃありませんか、お赤飯に、ごまかしを…ええ、そうですとも」
「赤飯?ごまかし?なにを言ってるんですか?それがどうしたって言うんです!」
禮介はもはやいらいらを隠そうともしていない口調で言い捨てた。真古はそんな彼を意にも介さず、彼に向き直った。
「『ごまかし』じゃありませんよ、今泉夫人は聞き違えたのね、定塚氏はこういったのよ『ごま塩』とね」
「ごま塩?」
あまりにも突拍子もないものが飛び出して、禮介の勢いがそがれた。

「お赤飯にはごま塩がつきものですからね、夕食のお赤飯、そして『ごまかしを』と言っていたように聞こえたという今泉夫人の証言。あたくしは二つを結び付けてみたんです。砒素が仕込まれていたのはごま塩、それに混ぜてあったんだって。計画を屋敷の中で直接話すと誰に聞かれるか分からないから、人の多い酒場から電話をかけさせて伝えたのね。明日の夕食に渡したごま塩を使う赤飯を出すようにと」
「でも…それってあり得ません!」璃恵が反論する。「だってそうでしょう?食事は全員が食べているし…」

「いいえ」すかさず真古が言う。
「思い出してみて下さいな、定塚実里さんは高血圧だったでしょう?『いつも節制している』とも言っていました。そんな人が血圧の上がる塩分を積極的にとるはずがありませんよ。定塚或人はずるいことに自分はかけるふりでもしたんでしょう。巧くやったものですよ、でもとてつもなく卑怯なやり方です」
憤懣やるかたない、という様子で真古は鼻を鳴らす。
一同の視線が、栗崎氏に注がれた。

「いやはや、まことに何と言って良いか…」と、栗崎氏はあっけにとられたように口を開く。
「真古さんのご意見は全く的を射ています。定塚或人は女中の倉出リンに手をつけて——俗な言い方をすれば孕ませてしまったのです。リンは情緒不安定になり、かたや定塚は常日頃から邪険に思っていた妻を始末してしまおうと計画を立てた。経緯は真古さんのご意見の通りで…」
一同の間に驚きの空気がゆるやかに流れた。

「——これは余談ですが…倉出リンは、一週間前に命を落としましてね。子供を死産して、産後の肥立ちが悪く、彼女はそのまま…その頃、定塚は忌々しいことに他の女に鞍替えしていましてね、彼女は今わの際に真相を告白した、というわけなのです」

しばし室内は沈黙し、やがて、禮介が大きく息をついた。

「真古伯母さん、これはもう見事にしてやられました、降参です。でも、なぜ伯母さんには真相を見抜くことができたんです?作家としては恥ずかしい限りです、思いつきもしなかった、まさか女中とは…」
「そうでしょうね」真古は静かに微笑んで言った。
「禮介さん、あたくしから見ればまだまだ経験が足りませんよ。問題は定塚或人のような男が——調子が良くて、女好きの、大雑把な男が——家の中にちょっと様子の良い純朴な若い娘がいたら放っておくはずがありませんよ」
気に入らない、というように真古は再び鼻を鳴らした。

「なんにせよ、気の毒で痛ましい事件ですよ、口にするのもいやになるくらいのね。さっき話したでしょう、羽栗さんの奥さんの場合もどれほど胸を痛めたことか、とても一言では言い表せません。でもね、そんな悲しい出来事だって、村の中でほんの少しの間世間話になっただけだったんですよ」

〈了〉

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