真っ暗闇。数秒の静寂。神の声を聴こうとするじぶんがいる。観客それぞれが神に問うているのではないかとさえ感じる。とてつもなく大きな空間に放り出される。と、同時にカラダは座席に在ることも理解している。
エンドロールラストの“沈黙”で涙のダムが決壊した。堰を切ったように溢れ、こぼれ落ちる。嗚咽が止まらない。しばらく席を立てなかった。なにかすごいことを知ってしまったような気がした。
「目を開けて祈れ」
フェレイラ神父の言葉が耳に残り離れない。是非“目を開けて”観てほしい映画だ。
(以上は公開当時、映画館で観たときの感想)
昨日キチジローというワードが頭に浮かんだので、改めて『沈黙』のことを思い返してみた。
キチジローは、いとも簡単(そう)に何度も踏み絵を踏んでは懺悔する。ともすれば滑稽に映るその姿。だがその実、彼こそが誰よりも信仰心が厚いのではないかとも感じてしまう。
浅野忠信はキチジロー役のオーディションに落ちたが、どうしてもスコセッシ監督と仕事がしたくて別の役を掴み取ったとのこと。窪塚洋介のインタビューも興味深い。
(窪塚洋介も一度落ちてたんだね)
アタシはあらゆる宗教(というか宗教団体)が嫌いだが、なかでもキリスト教の「懺悔」システムが特に嫌いだし納得がいかなかった。「謝ったらすむんかい!」と長い間思っていた。
この映画を観てキチジローに感情移入したことで「懺悔」に少し寄り添えるようになった。
それでもやはり、アタシは誰かを崇拝することを好まない。