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浪漫飛行とダイアモンドとサマースクール。

僕は小さい頃から喘息持ちだった。
いわゆる小児喘息というやつで、小学校の頃は症状が相当酷かったと記憶している。
普通に生活していても急に喘息の症状が現れ、夜間眠れずにいたり、学校を休んだりしていた。
笑いすぎても喘息が現れたりするので、母親からお笑い番組を見るのを禁止されていた。

そんな酷い喘息持ちだったので、それ自体にあまりいい思い出はないのだけれど、一つ今でも思い出す良かった思い出がある。
それは小学校5年か6年だったか、夏休みの1週間ほどの間、小児喘息を持つ児童を対象としたサマースクールに参加できた事だった。

それは、当時住んでいた東京のとある区で毎年行われていた、夏合宿のようなものだった。
その募集に対して親が応募していたようで、僕は運よく当選しそのサマースクールに行くことができた。
当選した子供たちは、サマースクールの間、親元を離れ千葉にある海辺の施設でその期間を過ごす。
今思えば1週間ほどの合宿生活なので大したことはないのだけれど、その当時の僕にしてみればそれは冒険のような、挑戦のような、不安と興奮の入り混じる出来事だったのだ。

出発日の朝、巨大な荷物を抱えた参加者の小学生たちとその親御さんたちが、集合場所のバス乗り場に集まっていた。
参加者は男女ともに同じくらい、各30人くらいずつ居た気がする。
同じ学校の知り合いも数人いて、その顔を見て安心したのを覚えている。
それぞれが事前に決まっていた班に分けられて、大型バスに乗って出発した。
僕はバスに乗った途端、急に一人になった心細さと見知らぬ人ばかりの状況にビクビクしていた。

到着した千葉の施設は海沿いにあって、普段は別の目的で使われている寮のような場所だった。
おそらく今考えると、普段その施設を使ってる人達が夏休みで帰省する間、僕らが利用する形を取っていたのだろう。
施設の各部屋は10台のベッドが2列5台ずつ向き合って並んでおり、各班の人達がそれぞれの部屋で過ごすことになる。
毎日規則正しく寝て起きて、ご飯を食べて、海や外で活動する。
そんな全部が初めての経験ばかりだった。

その寮に到着した後で全員集まり、班の先生たちの自己紹介を聞いた。
男女共に各3、4班あり、各班を担当するお兄さん先生、お姉さん先生が居た。
男子の班はお兄さん、女子の班はお姉さんで、彼らは医療系の学生か先生の卵のような人達だったと記憶している。
僕の担当の先生は、イケイケなお兄さんといった雰囲気で、ちょっとヤンチャで優しい兄貴って感じだった。
話しやすく明るい人で、このお兄さん先生にはとてもお世話になった。
その自己紹介の中で印象的だったのは、女の子側の先生で姉妹が居たことだった。
姉妹のお姉さんはちょっと落ち着いている雰囲気で、妹さんは元気な感じという雰囲気だった。
(当時のことなので曖昧ですが)
僕は昔から年上の女性に憧れる傾向が強く、何となくそのお綺麗な姉妹を憧れの気持ちで眺めていた。

合宿中の生活は、初日から最終日までしっかりとスケジュールがあり、起床時間から就寝時間までも決まっていた。
僕は幼少期から朝が弱く、寝起きも寝つきも悪いタイプだった。
だから毎日朝早く起きて、すぐベッドを整頓して、朝ごはんを食べるという行為が結構苦手だった。
その上人見知りもあって、最初の2日ほどは結構辛かった。
班の中で何となく上下関係や人間関係が出来上がっていき、ケンカする程じゃないにせよ、周りで軽い言い合いやグループ内の微妙な駆け引きに巻き込まれる度にビクビクしていた。
とはいえ、そこは皆んな小学生だったのもあって、その後はすんなりと仲良くなっていったけれども。
3、4日経ち、最終日が近づく程にどんどん仲良くなると共に、ここでの生活はメチャメチャ楽しい暮らしだと感じるようになった。
親元を離れた自由さや特別感、決まった仲間同士が一つの部屋で暮らすという特殊な環境は、当時の僕にとってはワクワクが連続するかけがえの無い毎日となっていた。
毎晩、就寝後の真っ暗な部屋で、ベッドに寝ながら暗闇の中でお喋りをしていた。
疲れ果てて順次一人ずつ寝落ちしていくというのが流れで、残って起きている人だけで喋って夜更かしするのが、ちょっと悪い事をしているようで楽しかった。
とはいえ22時過ぎには皆んな疲れて寝落ちしていたように思うけれど。

そんな風に毎日夜更かししているから、早朝に起きるのが辛かった。
ただでさえ、寝起きの悪い僕だ。
だけどこの寮は、朝に爆音で音楽が流れる。
それが当時人気だった、米米クラブの「浪漫飛行」とプリンセスプリンセスの「ダイアモンド」だったのだ。

その音は、本当に、本当にめっちゃうるさかった。
毎朝「浪漫飛行」か「ダイアモンド」のイントロが流れ始めると、夏の朝の少し汗ばんだ身体と眠くてぼやけた頭のまま、爆音から逃れるように無理やり起きて食堂に向かった。
でもそのお陰か寝坊する事はなかったし、今でもその2曲を聴くとあの夏の朝の空気を思い出す。
どっちの曲もイントロが良いんだよね、あのイントロを聴くと今でもワクワクしてくる。
(ダイアモンドのベースのリズムとベコベコ感が今でも大好き)
音楽を聴くと思い出す事って人それぞれだろうけど、僕にとっての「浪漫飛行」と「ダイヤモンド」はあの夏の暑い朝と、部屋の窓から見える海と青空を思い出す曲だ。

最終日かその前日か、その夜も僕らは飽きずに真っ暗な部屋の中でおしゃべりをしていた。
もうすぐこの合宿も終わるという名残惜しさや、ようやく慣れてきた残念さも相まって、僕らのテンションは高まる一方だった。
そこに、僕らの班の先生が急にやって来た。
僕らは一斉に寝たふりをして、何が起こるのか、怒られるのではないか、と様子を伺っていた。
そんな思いに反し、先生はほろ酔いで一応寝ているつもりの僕らのベッドに「元気か〜」みたいな事を言いながら突っ込んできた。
そして僕のベッドに来ると、普段にも増して明るい先生は僕に向かって話し始めた。
「おい○○(僕の名前)!お前、女の子の班の●●先生(あの姉妹の苗字)居るだろ?」
「お前の事可愛いって言ってるぞ!、いいな!お前は!」
みたいな事を突然言ってきた。
寝ている人はいるにせよ、突然みんなの前でそんな告白をバラされた恥ずかしさに、僕はこの場から逃げたくなった。
先生は程なくして戻っていき、その後は皆話すこともなく、それぞれ眠りについた。
そして当の僕はドキドキが収まらないまま、あの姉妹のどっちの話だったのだろう?とアホなことを考えていたのだった。
清楚なお姉ちゃんの方だったらイイなとか、今思うとアホ過ぎる事を考えながら眠りについた。

最終日の朝、僕らは寝不足の目を擦りながら帰りの支度をしていた。
衣類などをリュックに詰めたり、部屋を片付けて掃除したりしていた。
みんな口には出さずとも、友達になれたのに別れてしまうという寂しさと、また会えたらなという気持ちで一杯だったと思う。
今のようにスマホもないし、連絡先を交換するといった洒落たアイディアを誰も持ち合わせてはいなかった。
そんな中、班の先生から呼ばれて僕は一人ロビーに向かった。
なんとそこには班の先生と、あの姉妹の妹さんが居たのだ。
僕は何だか恥ずかしくて、これから何が起こるのだろうかと、直視できなかった。
班の先生は僕を茶化してきて、めっちゃ恥ずかしかった。
そしてその妹さんから、僕に宛てた小さなお手紙を頂いた。
当時の僕は「おいおい、姉さんやないのかい、妹さんの方かい!」なんてツッコミを入れられる余裕もなく、恥ずかしさでお礼してすぐにまた部屋へ戻った。
(妹さんも可愛らしく素敵な感じの方だったと記憶しています)
その手紙は皆んなにバレないように必死で隠して、リュックの奥の奥の奥へ押し込んで仕舞った。

家に着いてすぐに、親に隠れるようにしてその手紙を読んだ。
僕はその当時、同級生にモテるタイプじゃなかったから、女性からそんな手紙をもらうのは初めてだった。
そこには合宿中の楽しい思い出など、色々と書いてあったように思うけど、あんまり覚えていない。
恥ずかしさと、何か悪いことをしているような気がして、親にバレてはいけないと思いながら机の奥にしまったままいつしか無くなってしまった。

そして今でも毎年夏になると、あの頃の出来事を思い出してしまう。
あの友人たちはどうしているのだろうとか、先生たちは今何歳になっているのだろうとか。
あんなにも物事が純粋に楽しかったと思えるのは、何歳までだったのだろうか。
過去の懐かしさや淡い思い出は、昔観た映画のように、色褪せたシーンのように断片的に思い出すことしか出来ない。
そして年齢を重ねるほど、それは悲しいけれど、どんどん曖昧で朧げになっていく。

年齢を重ねた今、当時のように喘息になることも少ない。
素敵な思い出なんてこの十数年で数えるほどで、ただ意味無く歳を重ねるだけの毎日だ。
そして今の空虚さを埋めるように、都合よくあの頃の思い出に浸ったり、縋(すが)ったりする大人になってしまった。
いつしか夏なんて、暑くて面倒なだけの季節になってしまった。
でもまた行けるなら、再びあのサマースクールに行ってみたい。
親元を離れて一人、初めて向かう千葉までのバス旅。
夏の合宿生活と新たな友達と先生たちとの出会い。
今思えば、あれこそが正しく僕にとっての「浪漫飛行」であり「ダイアモンド」だったのですなぁ。
(オチが弱いなぁ)

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