海外(カンボジア)ビジネスで大切な事は全てサーシャに教わった③再会
相変わらず小さい仕事をこなす毎日で、唯一の楽しみは、飲みにいくことである。
広告代理店時代は本当によく飲んだ。
いまはお金がないのもそうだけど、付き合いもほとんどないのであまり飲まなくなった。
おそらく今まではお酒の場の雰囲気に酔っていただけで、本当にお酒自体を楽しむということはなかったんだと思う。
いま、よくいくお店は、もう20年くらいやっているというアメリカ人のおじいさんがやっているBeijing Barだ。漢字で北京と書いてあるけど、中国人が多い訳でなく、店員も中国語は喋れない。客層のほとんどが、欧米人のくたびれたおっさんである。
店員はこれまたくたびれたお姉さまたちがけだるく対応してくれる。
カウンターで隣に座ったおっさんの話はだいたいが昔輝いていたころの話、カンボジアの悪口、節約術、シモネタとあまりぱっとしない。服装は単パンに襟付き反袖が多い。
でも、なぜか心地よく、ついつい足を運んでしまう。
そんなある日、いつものようにレッドブルウォッカを飲んで、タイのノックエアのパイロットをしていたという隣のじいさんの、どう計算してもノックエアが登場するはるか昔の時代背景とともに語る武勇伝をきいていた。
ふとドアをみると、絶対にこの場に似合わないであろう、金髪の爽やかな女性が入ってきた。サーシャである。
彼女は、いつも隅っこに座っているアメリカ人のおじいさんオーナーに挨拶してから、僕に気づいて隣に座った。
どうして、、という僕の質問に答えるかわりに、ウォッカにレッドブルは体に悪いからやめるべき、と僕の飲みかけのグラスを店員に渡してしまった。
サーシャはビール、そして自分にはウォッカソニックを渡された。ソニックはソーダとトニックで割るため、店によってはソーダ代とトニック代とられることもあるけど、ここは大丈夫らしい。
サーシャの働いている孤児院のオーナーとここのオーナーが知り合いらしく、この店であまった食材をときどきもらいにきているということらしい。
普段はすぐ帰るけど、隣のほらふきで有名なじいさんに捕まってる知り合いの東洋人をみて、助けてやる気になったらしい。
何杯か飲んでだいぶ打ち解けてきたころ、サーシャから、急に、
「この前のスティッカーのデザインはなんで25ドルなの?」
と質問された。
とっさに答えることができなかった。。
高いのか?ボランティアでやるべきだったのか??酔いもあり、あたまが混乱してきた。
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