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低く飛ぶ飛行機と立ち止まる私(20220726)

飛行機が低く飛んでいると感じた。
そう感じたことに意味は薄いのだと思う。ただ確かにそう思ったのだ。

今日はひどい雨の1日だった。
眠りは浅く、どこか雨の匂いを嗅いだ朝だった。
最寄り駅に着いた途端私を迎えたのは折り畳み傘では到底太刀打ちできない強雨。
私の肩は瞬く間に濡れた。しかし、考えてみればそれだけだった。
足は靴下まで濡れた。腕には水滴が付き、雨の足跡を残していた。鞄は湿り気を纏いながらも、中の書類を守った。
だが、それで済んだのである。このことを不運に捉える方もいるだろう。然り。それもまた生きるなかで刺激される味蕾なのだから当然だ。
私に限り不幸中の幸いだったのだろうか。雨が与える影響について今日は人と話していないので、確かめようはない。しかし、私に同調してくれる同志諸兄もいると信じよう。

低く飛ぶ飛行機。
雨の後を、灰色の空を向こうに飛ぶ飛行機。
いつからだろう。私が空を見上げなくなったのは。
首が痛くなるからだろうか。高く飛ぶものに辟易したからだろうか。星の輝きに嫉妬を覚えたからだろうか。
もはや覚えていない。気づいたら私は空を見なくなった。
斜め前方の地面ばかりに目をむけていた気がする。そこには未だ回収されないゴミと薄れた白線、そして、私の奇妙な連帯があった。それらを結ぶ紐帯に気付かなかった訳ではない。
「居心地の良さに甘えるのはもういいだろう」
そんな声をかけられた気がした。
細い路地に乳母車を押す人、老人、私がいた。そこだけが全てのようにも思えた。当然、道は続いて、空は広がっているのに。
不意に立ち止まった。何を考えていたかは忘れてしまったが、何かを考えていた。とても示唆的な、あるいは、啓示的な何かを。今となっては思い出せない。

立ち止まる私。
飛行機は過ぎ去り、広漠な空が広がっていた。
低く飛ぶ飛行機の持つ一欠片の意味を知った。

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