超虚構という現実

筒井康隆の「残像に口紅を」をさわりだけ読んだ。
いわゆるブックカフェなる場所にて、珈琲を飲み終わるまでのひとときだけ。

そして、ひたすらに長い言葉を交わし合う主人公達に、小説としては違和感を覚えたと同時に、その会話の内容が普段の自分達(自分と近しい友達)の会話と重なって、なんとも言えない気持ちになった。

そうか、私達のあの会話は、側から見ると、こんなにも変なのか、と。

ある種説明的であって、物語というより語り合っているようなその序章は、逆説的にリアルなのかもしれない。

作中で発言された、現実が既に虚構に近づいているのだから、超虚構を描けばそれはまた現実に近づいている、というように。

友人と話している時でなくても、こうやって自分の考えを言語化し、整理し、組み立てていく過程で紡ぐ言葉ーつまりは私自身の独り言ーと作中のセリフは似ていて、

人に読ませるには説明的で、長くて、哲学のような思考を巡らす内容で、感情移入させる気はさらさらなくて、まるで自分の意見をキャラクターに話させているような、微妙に作品の世界に入り込めないような違和感、

なんて感じたことは、

全部そっくりそのまま普段の自分に帰ってくるのではないかと思った途端滑稽だった。

これが同族嫌悪というものなのか。いやそれもちょっと違う気がするな。
自分と似ているからその悪さというか、短所というか、そういうものが見えてきて、
まるで自分が発言した時に周りにどう思われるかを考えるかのように、一般的な ーここでいう一般的なというのも不明瞭だが、とりあえず私とは異なる感性を持つ相手を指しているのだと思うー 感覚では読むのを億劫に思うであろうという俯瞰した分析じみたものをしてしまっているのではないか。

考えれば考えるほど滑稽で仕方ないが、とりあえず序章数ページだけでこんなにも考えを巡らせたのである。

続きもゆっくり読んでいこうとおもう。最後まで読んだ時、私は私に何を感じるのだろうか、今からワクワクする。

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