見出し画像

私の雛人形を探して

 この記事を書いている2025年3月3日は昼間に雪が舞った。ひな祭りには似つかわしくない、なんともおかしな天気。

娘の雛人形をお買い上げ

 娘の雛人形を浅草橋の吉徳で買った。入店してすぐに駆け寄り私が一目惚れ。1週間悩んだものの、結局お迎えすることにした。昨年2024年のNHKのドラマ『光る君へ』をオマージュしている人形らしく(買う直前に知った)、月を眺めながら琵琶と琴を嗜む美しい意匠だ。

女雛のお顔はモダン

 私は特に大河を観ていないものの、雰囲気だけは好きである。不倫の逢引シーンをモチーフにしたのが雛人形としては少しよくなかったのか、宣伝もせずカタログにドラマの名前も書かれていなかった。保管箱の横にしれっと『光る君へ』と商品名が書いてある。せっかくのオマージュなら堂々と書いちゃえばいいのに。
 由来はともかく家に届いて飾ってみても素晴らしい。勝手に人形それぞれに三郎・まひろと名付けた。これから長きにわたって娘を見守ってくれるだろう。娘が気に入ってくれたらなお嬉しい。

一方、私の雛人形は

 さて、娘の雛人形を買うにあたって、あることを思い出した。私自身の雛人形は長らく行方不明になっていたのだ。こじんまりした陶器の雛人形。以前住んでいた家の作り付けの小さな飾り棚に収まることが災いし、年中出しっぱなし。引っ越してからというもの飾ることもなくなり、いつの間にか存在が消えてしまった。
 その割に祖母宅には母の立派な7段飾りの雛人形が毎年きちんと飾られており、実質そちらが私の雛人形扱いであった。ヘッダー写真がその雛人形である。親戚なども見るたびに「大きいものだし立派でかっこいいねえ」と褒めそやした。

 しかし私は強欲である。物心ついたときに「これが自分の雛人形」と言われたのが小さな割れ物で(今は陶器でもいいと考えを改めた)、壊れかけの飾り棚に積まれ出しっぱなしの雑な扱い。一方で、母の古くて怖い、髪も取れかけの雛人形は皆が愛でている。こまめに毎年菓子を供え、防虫剤を入れて桐箱にしまわれている。あまりに軽んじられているようで切なく、つらかった。
 節句の時期に自分で飾りたいという自立心が育つ頃には、もう人形も行方不明だったのでなすすべもない。高校生のころに伊豆に出かけたとき、せめてもの気持ちとして1000円くらいの小さなつるし雛を地元の道の駅で買った。何年かは自室に飾ったけれど、それも実家を出るどさくさに紛れて行方不明という憂き目にあった。

 そんな積み重ねもあり、もし自分が誰かのために季節飾りを買うときは、しっかりしたものをきちんとした時期に飾れるようになりたいと願っていた。今やその夢は娘のための雛人形で叶いつつあるので、ようやく自分の雛人形を探す心の余裕が出てきたのだ。

"発掘"してみる

 ダメもとで実家に問い合わせてみたところ、だいぶ経ってから「まとめて"発掘"された」との連絡があった。発掘という言葉は一般家庭でさせていい響きではないような気がする。私の雛人形は、化石のように家のモノの地層の中で眠っていたらしい。実に20年ぶりの目覚めである。

つるし飾りも同時に発掘。今年は飾れました。

 渡された雛人形は、「ひな人形」と書かれたガムテープが貼り付けられた菓子の空き箱の中で、ジップロックに詰められてガチャガチャと音を立てている。遣る瀬無い気持ちになるのでひとまず飾ってから検分することにした。段差がないと収まりが悪いので、小道具の収納用に詰められていた木箱に雛人形を乗せる。あとのものは後ろに置いておく。

とりあえず飾った状態

 まず、屏風もなにもないのが気になったので同じ型のものをネットで調べる。やはり本来は陶器の人形たちに加えて屏風と台、または何かしらがセットになっているタイプのようだった。いくら思い返しても、陶器の雛人形用の屏風や台を見かけたことは一度もない。

おそらく同型のもの
この家具 is 何

 ではこの妙に立派な書見台・鏡台etcまで一緒の箱に詰め込まれているのは?漆の塗り方からしても相当な年代物だ。50年はゆうに超える佇まいで、こんなに小さな雛人形とセットで売られるはずがないほどの不釣り合いさ。7段飾りの下段に置くものではないだろうか。

答え合わせ

 疑問だらけなので家族に聞いてみた。

Q.雛人形、この状態はおかしいのでは?
A.そもそも祖母が勝手に買ったものなので、どこで買ったのかもわからない。買うときに選択権もなかったし、渡されたときにはすでにこの状態だった。
Q.この立派なミニチュアの家具、セットではないよね?
A.母の雛人形の家具が気に入らなかった祖母が家具のみ買い換えた際に、元の家具が余った。なんとなく陶器の雛人形と一緒にしておいた。

 そういえば、ネットで調べた同じ型の雛人形についていた屏風と台、祖母宅で別の用途で使われていたのを見た気がする。なんも関係ない季節の置物を飾るのに使っていたような……。
 つまりこれまでの話が本当なら。祖母が孫の私のためと無断で陶器の雛人形を買った際に、屏風と台は気に入ったので自分のインテリアとして使うため取り上げ、残りを母に渡した。そして母は自分が選んだものではないので、とくに興味もわかず余り物の飾りと一緒に放置していたというわけ。
 なんてこったい、とため息をついた。子供の成長を見守るための雛人形は、本人の目もろくに届くことなく物を横取りされ無碍にされ、宙ぶらりん状態で30年近く過ごしたことになる。

雛人形、これから

 せっかく手元に帰って来てくれた私の雛人形。こんなにすっぽかされても、当の私は紆余曲折ありつつ結婚し、おおよそ無難に生きている。雛人形からしてみれば満願成就だ。
 どう扱おうが祟りも何もないことはすでに証明済みであるが、今のままの物寂しい状態で飾るのはナンセンスであるように思った。

 そもそも結婚してから雛人形はどうするべきなのか?というのは普遍的な問題であるはずなので調べてみる。吉徳さんによれば。

雛人形は子供の穢れや厄を移す人形(ひとがた)。持ち主の守り神のような存在なので、結婚する先へも持って行き、桃の節句に飾ります。もし女の子が生まれた場合には、娘のために新しくあつらえた雛人形と共に飾ります。

吉徳HPより

 守り神なの?その割に扱いがとんでもなかったけどまぁ……今からでもよし!OK!いける!!というわけで、今後は娘の雛人形の隣にちんまりと飾ることにしようと思う。余分なミニチュアの家具は温情で置いておこう。
 祖母宅のどこかで未だ彷徨っているであろう台と屏風は5年はお目にかかれないと踏んで、自分でモダンなものを見繕って補うことにした。今の時代、通販やフリマアプリでもこういう細々としたパーツを存外バラ売りしているから心強い。
 来年こそはきれいに飾るために。雛人形との間に出来てしまった心の隔たりを少しずつ埋めるように、欠けたパーツを集めるつもりでいる。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集