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人生の持ち時間はいつかゼロになる

つい先日、33歳になった。

20代の頃から、好きになる男性はきまって33歳だった。子供っぽい雰囲気を残した大人の男性に惹かれることが多かった。

おじさんでも、おばさんでも、子供でもない人間。
それが33歳。

33歳はまだまだ年上だと思っていたが、あっという間に自分もその年齢になってしまった。

三十路手前くらいまでは、一歩一歩確実に老いていく自分から逃げたくなったりもした。20代というブランドのようなものから引き摺り下ろされ、女としてはもう見られなくなるような、大人としていよいよしっかりしなければならないというような、そんなものを感じたりもしたけれど。

つい先日、友人と飲んでる時に30歳すぎてから歳を重ねることにネガティブにならなくなったよね、という話になった。

近所に良いバーがあったので、友人としっぽり

これ、家に帰ってきて夫に話したら夫には理解されなかったのだけど、

歳を重ねることの何が良いかって、
確実に死に近付いていることに安心する。

これだけ聞くと、おいおい悩みでもあるのか?って感じだけど

人生に悲観的になっている訳ではなく、むしろ人生で今がいちばん幸せ。20代の頃に戻りたいかと問われたら間違いなく戻りたくないと答える。
そのくらい今の自分と環境には満足している。

が、100年後は確実に死んでいると思うと安心する。

人生に限りがあるということに安心する。

私の人生など、あともって60年くらい。
うまくいけば70年。
今までの33年間を今からもう一度繰り返したら、定年を迎えている。

母親は60近い。
祖母は90近い。
実家に年一回帰ったとしても、母親と会えるのはあと30回くらい?
祖母とは10回もあるかないかだろう。

自分の人生だけで考えると60年はすごく長いけど、人はだいたい1人では生きていないので、いくつもの人間と人生を交差している。

節々を注意深く見ると、そのひとつひとつは長くない。子育てを経たり、疎遠になったりする期間を加味するともっと短くなる。

友人と会うのだって、学生時代や独身の頃と比べたらかなり減ったし、結婚や仕事で離れ離れになって連絡をとらなくなった子もいる。

そういうことを時々考えては、この短い人生やっぱり会いたい人や好きな人に沢山時間を使おうと思うのだ。合わない人や、好きではないことに時間を割くべきじゃないと。

33歳も引き続き適当に、好きなことだけをしながら生きていく所存。

残された人生の持ち時間はいつかゼロになる

映画 ファイト・クラブ/1999/米 

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