自信を持てない自分を愛する
こんにちは。麦穂です。
今回から、「就活のかけら」というテーマで書いていきます。
「メソッド」でも「いろは」でもなく、「かけら」です。
その言葉の通り、私が就活を通して見つけ出した小さなかけらを寄せ集めて、一つずつ文章に起こしていきたいと思っています。
かけらの種類は、学び、気づき、反省など、様々です。
そんな色とりどりの小さなかけらの記録を、楽しんでいただけたら幸いです。
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それではさっそく今回の内容に入ります。
あなたには、「自信」はありますか?
あると答えた人は、なぜそう言えるのでしょうか。
ないと答えた人は、なぜそう思うのでしょうか。
ちなみに、最初に私の答えを言ってしまうと、
簡単に自信を持てないところも含めて、それも「自分」として受け容れています。
狡い回答するなぁ、と思った方、申し訳ありません。笑
ですが、これが今の私の答えです。
今回は、就職活動を通して「私がこの答えを導き出すまで」の過程をお話しします。
自信とは何か
手始めに、辞書的に「自信」がどういう意味なのかを確認します。
辞書的な「自信」はこの2種類に分かれているのかなぁと、私は解釈しました。
私には、いつも自信がなかった
さて、ここからが本題です。
見出しの通り、私にはいつも自信がありませんでした。
何度「自信を持て」と言われたかわかりません。
夏に参加した3日間のインターンシップでは、30分×2回のメンター社員さんとの1on1を、「なぜ麦穂はそんなに自信を持てないのか」という話題だけで使い切りました(メンターさん、その節はありがとうございました&申し訳ありませんでした)。
長期インターンを卒業する際、1年半私を育ててくれた直属の上司から最後にもらった言葉は、「もっとエゴイストになれ」でした。
自信を持つことが大事、なんて、頭ではわかっているんです。
それでも、どうしても自分を100%信じることなんてできませんでした。
どうしてこんなに頑なに自信を持てないのか解明したくて、紙に書き出したりもしてみました。
自信を持てるような突飛な経験が足りないからじゃないか、
他者からの評価を気にしすぎているからじゃないか、
「大丈夫」と他者から言ってほしいだけなんじゃないのか。
多分、上記に挙げたことは私にとって全部正解です。
どれもそうだよなぁと納得しながらも、「じゃあどうすりゃええねん」という状態でした。
当時の私は、「自信は持たないといけないものだ」と強く思っていたので、「自信が持てない自分」のことが嫌いでした。
思い切って「なんでそんなに自信があるの?」と聞いてみた
そんな悶々とした状態で、第一志望の企業の選考が本格的にスタートしました。
(補足すると、私は第一志望を定めてから1ヶ月間、「その企業のための1ヶ月だった」とはっきり言えるくらい、全神経を注ぎきりました)
メンターさんと一緒に自己分析をしたり、たくさんの社員さんとお話をさせてもらったり、企業分析を深めていったりと、一見選考は順調に進んでいきました。
ですが、ふとしたタイミングで、どうしても「自信のない自分」が顔を出し、その度に心の中では自分をちくちくと痛めつけていました。
誰かからの「大丈夫」がないと自分を保っていられないような、そんな弱さと甘えを常に孕んでいました。
自分の根本がこのままだったら、きっとこの企業には入れない。
私は静かに焦っていました。
選考を開始して数週間が経過した頃、多くの社員さんと面談をする機会をいただきました。
その社員さんたちがあまりに眩しくて、「私もうこんな会社行けんわ」と思うレベルまで自分を追い込んでしまいました。
そのとき私は、このまま1人で考え込んでいたらどこまでも落ちてしまうなと思い、「私の目からは常に自信満々に見える友人」に、社員さんと話しているとどんどん自信がなくなってしまう旨を打ち明けました。
そのときに友人からもらった返答は、
「え、社員さんすごすぎてワクワクしない?」
でした。
ワクワク・・・ワクワクするのね・・・?
私が自分にベクトルを向けて「負の感情」を抱いてしまう事象に対して、その友人は「ワクワク」という希望を抱くのかと、なんとなく「越えられない壁」のようなものを感じました。
そしてまた別の機会に、話の流れで友人に以下の問いを投げかけました。
「なんでそんなに自信があるの?」
答えはこうです。
「理由なんて別にない!信じたいから信じてる!」
いや理由ないんかい。
就活を経て、「自信」というものへのハードルがものすごく高くなってしまっていた私にとっては、目から鱗の一言でした。
そしてこの話を聞いて、私の中で2つの思いが生まれました。
このエピソードから①の思いを抱くのはまぁ納得だし、一般的にも大事とされていることですよね。
でも、私にとって大きかった変化は、②の「簡単に自信を持てない自分も、それもまた自分として受け容れよう」という思いを抱けたことです。
「いや、そんな甘えたこと言わないで、常に『根拠のない自信』を持っていればいいんだよ!」と思う方もいらっしゃるかもしれないですね。
でも私は、今の自分がそんなことをしてしまったら、また「自信を持たないといけない呪縛」に囚われ続けてしまうなと思ったんです。
私の自信のなさは、かなり根深いです。
人生を通して「根拠のない自信」なんて抱いたことがないわけですから、そりゃ簡単に自信を持てるようになんてなりません。
あっけらかんと自分を信じ切っている友人を見て、私がこの域に到達するにはもう少しだけ時間がかかるなと思いました。
でも、最終面接まで時間はない。
じゃあどうするのか。
ここで私が導き出した答えは、冒頭で述べたとおり、「簡単に自信を持てないところも含めて、それも『自分』として受け容れる」でした。
自信を持ちやすいか持ちづらいかは、良い/悪いの問題ではなく、価値観の違いなのだと。
もしかしたら、この答え自体も多少の甘えを孕んでいるかもしれません。
ですが、こう思えたとき、目の前の霧が少しずつ晴れ始めるような感覚がありました。
もし「常に自信満々」だったら、今の私はいない
実際、もし「常に自信満々な麦穂」だったら、今の私はいません(もちろん、自信満々だった場合も別の方法で麦穂を形作っていたとは思いますが)。
自信がないからこそ、愚直に努力を積んで、高いクオリティのパフォーマンスを発揮できる。
自信がないからこそ、常に自己内省をして、自分に厳しくフィードバックできる。
自信がないからこそ、人の弱さに寄り添い、優しくあれる。
こんな風に、自信がないからこそ形作られた今の私にも、自分で「ちょっと好きだな」と思えるところはいくつかあります。
私は、自信のなさや弱さを、きちんと良い形で昇華させることができている。
これに気づけたことが、何よりの収穫でした。
でも、自信を持たざるを得ない場面は来る
とはいえ、自信を持たないといけない場面は、生きている限り必ず訪れます。
私で言うと、最終面接です。
社員さんからも、「最終面接は、『自分のこと採用するしかないでしょ』というくらい自信を持って臨まないと、想いが伝わらない」と言われていました。
これには私も同意で、面接官目線、自分のことを信じきれていない奴を採用するわけにはいかないですよね。会社の未来がかかってるのに。
ですが、例のごとく私は自信を持つのが苦手です。
じゃあどうしたのか。
最終面接までの数日間、私は2つのことをしました。
まず、自信を持てない方がおかしいくらい徹底的に準備しました。
ここは私の得意分野です。
具体的にどんな準備をしたのかはそこまで重要じゃないので割愛しますが、数日間自分と向き合い倒しました。
その結果、最終面接前日には、「このままいけば自分を採用するメリットが100%伝わる最終面接になる」という確信を持つことができました。
ここまでやって初めて、私は小さな自信の種を手に入れたわけです。
自信を持てないなら、自信を持てるまでやればいい。
これは、私が人生で培ってきた考え方です。
そして2つ目は、言霊を信じて「私は大丈夫」と言い聞かせ続けました。
急に脳筋になりましたね(笑)
でも、ここまできたら、使う言葉から変えていくしかないんです。
私の好きな漫画でも、主人公がこう言ってます。
面接の前日から直前まで、社員さんにも、応援してくれていた友人にも、家族にも、「大丈夫、いける」と言い続けました。
そんなことをしていると、不思議なことに本当にいけるような気がしてきちゃうんですよね。言霊ってすごい。
多分これは、「しっかりと準備をしてきた」という土台があったからで、それがなければいくら口に出そうと自信を持てなかったとは思いますが。
ですが私は、そのとき初めて「根拠のない自信が本物の自信になっていく感覚」を得ることができたのです。
私らしい徹底的な準備と、初めての根拠のない自信。
これらがかけ合わさったとき、私は「今の私なら大丈夫」と心から思うことができました。
「自分を信じる」と「自分を受け容れる」は少し違う気がする
そしていよいよ最終面接。
前章で私なりの「自信」を持つことに成功したわけですが、それでもやっぱり不安や怖さはありました。
根本の臆病な性格は突貫工事でどうにかなるはずもなく、「根拠ないけど100%自分を信じ切ってるわ!!!」という状態かと言われると、うーん・・・という感じ。
社員さんにも友人にも背中を押してもらって、自分の中でもあれだけやって、もう穴はないはずなのに。
それでもまだ、ちらちらと臆病な自分が顔を出すのです。
こんな自分に気づいたとき、私は私のことを「相変わらずだなぁ」と笑い飛ばしたくなりました。
ここまできても自信満々になれない私のことが、面白く、そして少しだけ愛おしく感じたのです。
これは、生きてきて初めての感覚でした。
怖くていいじゃない。不安でいいじゃない。
その怖さは、不安は、自分の人生に本気で向き合ってきた証拠だ、と。
だから、押し込めたり無視したりするんじゃなくて、その怖さも不安も抱えたまま、ここまできても自信満々になれない私をくすりと笑ったまま、震えながら立ち向かっていこうじゃないかと。
もしかしたら、メンターの社員さんや人事の方が私に対して望んでいた自信の持ち方とは、少し違う形かもしれません。
でもこう思えた瞬間、私は、簡単に自信を持てないところも含めて、本当に心から「自分」を受け容れることができました。
「このくだりさっきやったやんけ」というツッコミが入りそうですが、このタイミングで、目の前の霧が完全に消え去ったのでした。
そして私は、晴れて第一志望の企業様より内定をいただくことができました。
「自分を信じる」ことは難しくても、「自分を受け容れる」ことはできる。
むしろ、「強さも弱さも含めてまるごと自分を受け容れる」ことの方が何より尊いのだと、今の私はそう思っています。
最後に
思ったより長文になってしまったとともに、若干心理変容が複雑なところがあったので、客観的に見て読みやすい文章になっていたかは怪しいところですが、これが私が「簡単に自信を持てないところも含めて、それも『自分』として受け容れる」ようになるまでの過程でした。
読みながら「こいつ一生自信持たんやんけ」とイライラした方がいたら大変申し訳ありません(笑)
ただ、誤解のないように最後にお伝えしておきたいのですが、私は別に「自信を持つこと」を諦めたわけではありません。
やっぱり自信がある人ってキラキラしてるし、自信が持つことができる人にしか生み出せない世界があることにも薄々気づいています。
だから、これからも引き続き、自信を持つための材料集めは行っていくつもりです。
でも同時に、今の私は「自信があること」が全てじゃないことも知っています。
最終面接のときのように、臆病なままでも前に進めた自分のことも知っています。
今は、それほど自分のことが嫌いじゃありません。
タイトルのように「自分を愛する」レベルまでいっているかはわかりませんが、間違いなく私は今の自分を受け容れています。
それこそが一番大事なことだと思っています。
だから、将来自信を持てるようになったとしても、相変わらず持てなかったとしても、「それも自分だよな」として受け容れる心を持ち続けることだけは、忘れないでいたいです。
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次回以降は、もう少し軽く読めるライトな記事になると思います、、笑
文章書いてるとつい際限なく長々と書いてしまうのも私の良くない癖かもしれない。気をつけていこう。